国吉康雄 A to Z

Fishing Village

漁村の風景

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  • 2026.01.13

国吉や作品にまつわるコラムをA to Z形式で更新します。

1920年 | 油彩、キャンバス | 41.0cm×31.5cm | 福武コレクション蔵

国吉康雄の絵は暗くてとっつきにくい、とよく言われる。この作品もその一つだ。美しい風景が描かれているわけではなく、面白い物語が隠されているわけでもない。だがこの絵に私たちが惹きつけられるとしたら、それはなぜだろう?

この絵が展覧会に出されることは少ない。地味な作品だが、実物を見ると色が美しいことに驚かされる。国吉の絵はいつもそうだ。暗い色なのに、透明で、輝いている。この初期の作品にもその特徴がよく出ている。

描かれているのは、いくつかの家と、その向こうに見える海と空だ。天気は曇りで、全体に陰気な感じがする。窓には誰かが顔を見せているが、黙って外を見ているようで、やはり暗い感じ。白い広場か道に面した何軒かの家が、ごちゃごちゃと重なっている。こんなに近くに建っているのに、ここに流れているのは冷たく、寂しい空気だ。

この絵を描いた1920年ごろ、国吉康雄はそれまで通っていた画学校、アート・スチューデンツ・リーグを辞め、画家として独り立ちしようとしていた。グループ展には出品していたが、画廊で個展を開くようになるのはこの翌年からのことだ。このころのニューヨークには、ヨーロッパから新しい美術が次々に入って来ていた。国吉たち若い画学生はそれらを貪欲に見つつも、そのまま真似するのではなく「自分独自の表現」をつくりだそうと試行錯誤を続けていた。

このころまでの国吉の作品を見ると、ルノアール風の裸婦、セザンヌ風の風景画や静物画など、先人が何をどのように表現しようとしていたかを、国吉が懸命に知ろうとしていた様子がうかがえる。この「漁村の風景」についても、他の画家がすでに似たような構図や雰囲気を描いていたかもしれない。だがそれでもこの作品は国吉康雄が、彼独自の世界を切り開きはじめた記念すべき作品だと言える。現実と非現実の間にあって、何かを象徴しているのかいないのか、どんなメッセージがあるのかよくわからない、この「わからなさ」が、この作品にはあり、それが国吉の作品を生涯つらぬいていくことになる。

人と同じようなものかもしれないな、と私はこの絵を見ていると思う。誰かを理解しようとしても、次々にいろいろな面が見えてきて一言では言えない。なんだか好きだ、とか、どうにも合わない、と思うのも、はっきりした理由があるわけではなく、ただその人がそこにいて、私がここにいるという「ただ存在している」と、お互いに違うなあと思うだけだ。

だけどとにかく、同じ時代をともに生きて、時間をかけてその人のことを考える。その時間が重なっていくと、相手は(好きだろうが嫌いだろうが)、自分にとってかけがえのない存在になっていく。

国吉の絵について考えるということは、それと同じようなことなのかもしれない。好きだろうが嫌いだろうが気になる存在であり、もしかすると、絵のほうも、それを見ている人々についていろいろなことを感じているのかもしれない。

更新日:2018.10.22
執筆者:江原久美子