国吉康雄 A to Z

Casein

カゼイン

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  • 2023.05.24

国吉や作品にまつわるコラムをA to Z形式で更新します。

「安眠を妨げる夢」 | 1948年 | カゼイン、石膏パネル | 50.8cm×76.2cm | 福武コレクション蔵

国吉康雄はさまざまな技法を使って絵を描いた。鉛筆やインクでの線描、リトグラフなどの版画、数は少ないがパステル画や水彩画もある。メインとなるのはやはり油彩画だが、1930年代後半から1940年代にかけて積極的に取り組んだのがカゼイン画である。「私は油彩の次にカゼインが好きだ」と彼が書き残した手記が残っている。
カゼインとは、牛乳から抽出したタンパク質の一種で、食品として利用されたり、固めてプラスチック状の素材として使われたりする。このカゼインを顔料(がんりょう)と混ぜたものが、カゼイン絵の具である。
ラピスラズリという青い鉱石や、酸化鉄の赤い色を利用するベンガラ、またさまざまな化学物質など、色のついた物質を粉末にしたものを顔料といい、顔料を画面(紙や布など)に定着させるために糊状のものと混ぜたものが絵の具である。顔料を油と混ぜると油絵の具、膠(にかわ)と混ぜると日本画の絵の具、卵黄と混ぜるとテンペラ絵の具になる。画家が自分で絵の具をつくる場合もあれば、市販されているものを利用することもある。カゼインに関しては、国吉は、チューブに入った市販の絵の具を使っていたようだ。
吉がカゼインを使って描いた作品には「安眠を妨げる夢」「少女よ お前の命のために走れ」などがある。鮮やかでありながら深みのある色合い、繊細な描きこみ、マットな表面の感じは、同時期の国吉の油彩画(たとえば「ミスター・エース」や「鯉のぼり」)と共通しており、一見しただけでは画材の違いを区別するのは難しい。
「私はカゼインを継続的には使わない。私は絵画制作の合間に自分をリフレッシュさせ、刺激してくれるものとしてカゼインを使う。」
と国吉は書き残している。
「カゼインは、私が油彩画を描く中で次の段階に行く方法を探そうと実験しているときに役立つ。実のところ私は、ひとつのメディウム(画材)の中での探検が、ほかのメディウムの中での発見につながることを知っている」
国吉にとってカゼイン画の制作は、油彩画制作のための重要な実験だったのだ。
では国吉に刺激を与えたカゼインの特徴とはどのようなものだったのだろうか。国吉自身の言葉から探ってみよう。

1 乾きが早い

「(油彩画において自分は)それぞれの状態から次のステップに進むために徹底的に乾かす。私はこれを何度も繰り返す。カゼインにおいて、私は同じやり方を踏襲する。」
国吉は、油彩画でも絵の具を徹底的に乾かしてから次に進んだようだが、カゼインは油彩画よりもずっと早く乾く。画面に塗って数分もするとすっかり乾き、他の色をその上に塗り重ねることが可能だ。

2 水に溶けやすい

「私はドローイングも色も変えたいとき、必要ならば土台の表面まで洗い流す。」
この、洗い流すという言葉は比喩ではない。カゼインはとても水に溶けやすく、画面に塗ったあとでも、文字どおり水で“洗い流す”ことができる。一度塗ってすでに乾いた部分も、もう一度水を含ませれば簡単に色を拭き取ることができるのだ。

3 マットな質感

「私はこの特異なメディウムの特徴である特異なマットな表面が好きだ」
マットな表面という特徴は「ミスター・エース」などこの時期の国吉の油彩画にも現れている。この乾いた感触は、文字通り湿っぽい感傷を突き放すような効果を生んでいる。

国吉は生涯にわたって、ひとつの画風に安住することなく、何を描くか、どう描くかを探求し変化し続けた。20世紀、めまぐるしく変わる世界の中で、根底から深く感じ、考え、人々に伝える、そのためにはどうしたらよいのかを多くのアーティストが、そして国吉康雄も模索しつづけた。国吉にとっては、時に画材を変えながら創作を続けること、それが模索のひとつの手段だったのだろう。
現在、カゼインという画材は、扱いが難しいせいか、ほとんど使われていない。しかし国吉の画業を考えるうえで重要なこの画材について、2014年には広島市立大学芸術学部美術学科油絵専攻641諏訪敦研究室による「模写プロジェクト」が行われ、2017年からは岡山大学教育学部国吉康雄教育研究寄付講座にてカゼインワークショップが継続的に行われている。カゼインという画材をとおして国吉はどのようなビジョンを得ようとしていたのか。それを徐々にでも知る手がかりになればと考えている。

i 本稿のすべての引用は次の資料による。
Kuniyoshi, Yasuo. “His method of making a casein painting”
In: Blanch, Arnold ”Methods and techniques for gouache painting” New York: American Artists Group, 1946. pp. 45-46, ills. pp.54-55
原文は国吉による英語(本稿の和訳は江原)。

更新日:2018.5.15
執筆者:江原久美子