国吉康雄 A to Z

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国吉康雄の写真

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  • 2023.06.02

国吉や作品にまつわるコラムをA to Z形式で更新します。

「パーティー・ウッドストック国吉邸(4)」 | 1938年 | ゼラチン、シルバープリント | 18.4cm×24.1cm | 福武コレクション蔵

横長の白黒写真、そこに写っているのははっきりとしたストライプ柄の日よけと、その下でテーブルを囲み、思い思いの格好でおしゃべりしている人々だ。14〜5人くらいが、晴れた日のガーデンパーティーを楽しんでいる。庭には何本かの木があり、遠くには山が見える。皆くつろいだ様子で、カメラに視線を向ける人は誰もいない。

1938年のある日、国吉康雄はウッドストックの別荘でパーティーを開き、画家仲間や画廊主など知人友人を招いた。この日、彼は愛用のライカで写真を撮り続け、「パーティー・ウッドストック国吉邸」と名付けた写真を20枚も残した。それらは記念写真でも記録写真でもなく、まして構図や光を考慮したアート作品でもなく、素朴な、ただそのとき見えたものをふと切り取っただけというスナップ写真である。

1935年、国吉は35mmフィルムの小型カメラを買い、どこに行くにも持ち歩いた。結婚したばかりのサラとのメキシコ旅行、友人たちと行ったコニーアイランド、マサチューセッツでの海水浴、学生たちとのピクニック、ウッドストックで休暇を楽しむ家族や友人たち、アトリエの窓から見えるユニオンスクエア、ニューヨークで開かれた万国博覧会、メーデーのデモ行進・・・。どの写真からも、国吉と、写っている人々の楽しい気分が伝わってくる。それらは公表するつもりのないプライベートな写真であり、あとで誰かに何かを伝えるためではなく、撮影しているそのとき、写す人と写される人が仲良くなるためのものだったのだろう。私たちは国吉の写真をとおして、彼が生きていた時代の空気感も感じることができる(1)。

一方で、国吉の写真には日常のスナップというには奇妙なものも多数ある。打ち捨てられた廃墟、非現実的に組み合わされた静物、女性のヌード・・・、国吉の絵画作品にたびたび登場するモチーフだ。だが国吉は、写真をもとに絵画を制作したわけではない。ただ、自分は何に興味があるのかを確かめようとしているようだ。

そう、私たちは国吉の写真を見るとき、彼の絵画制作のもっと前段階にある、目で見て心の中に取り込む前の、視覚のタネのようなものを感じることができる。モチーフになりそうで気になるもの、こうやって構図を切り取るといいのではないかというアイデア、流行の写真の様式を真似してみたもの、絵画作品としては描かないが、印象派や東洋趣味の構図をためしてみたもの・・・。彼はライカを使って、自分の視覚を試したり確かめたりする実験をしていたのだろう。

彼は1935年から1939年にかけて集中的に写真にとりくんだ。ヨーロッパで第二次世界大戦が始まった1939年、写真が趣味だと言い続けることに困難を感じ(2)、彼は写真をやめた。1941年の真珠湾攻撃後は敵性外国人とされ、彼のライカは警察に一時没収された。

国吉が撮り、現像した写真は、後年1980年代になってサラ夫人によって公表された。それらの写真は、国吉が感じていた、ものを見ることを楽しむという純粋な喜びを私たちに伝えてくれている。

(1)国吉康雄が残した写真は約400点。そのうちの約半数が福武コレクションに含まれている。
(2)“Telling Tokio, The Talk of the Town,” The New Yorker, 18, March 28,1942, P17

更新日:2018.8.15
執筆者:江原久美子