フォーカス

おむすびプロジェクトで学んだことが今も生き続ける

野間海里さん

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  • 2022.07.26

PBL(Project Based Learning)に取り組んだ高校生。今、社会人1年生。何を考え、何に向き合い、そして、何を目指しているのか。野間海里さん(玉野市立玉野商業高等学校卒業=現:玉野市立玉野商工高等学校)にフォーカスする。(文:川崎好美)

野間海里さん

――野間海里さん―海を持つ玉野市で生まれる。海の見える玉野が”里”になるようにと名づけられ、玉野で生まれ、玉野で育ちました。

中学3年生の時にたまの港フェスティバルにボランティアとして、参加した。純粋に楽しかった。イベントを回している大人の姿を見て、感動しました。Tシャツもらって、イベントに参加して、この町に貢献できるという実感が湧いたのを覚えています。

高校を選ぶときに、港フェスティバルにボランティアで参加していた高校生の姿に自分を重ね、玉野商業高校(現:玉野商工高校)を選びました。

――きれいな海と大きな船を写真におさめることが大好きな野間さんは、写真部に入りました。その一方でイベントのボランティアにも積極的に参加しました。

宇野港第一突堤で行われているイベントにボランティア参加をしている部員が多くて、自分も関わることとなりました。高校1年生、2年生の時は、写真部の活動を続けながら、イベントの運営に夢中でした。たった1日のイベントのために、何か月もかけて準備をする。その日に最高の状態を迎えるために、細部にわたって考え、準備する。考えてもイベント当日に間に合わないと意味がない。何事も準備が肝心だととても大切なことを学びました。

――その延長で高校3年生の一年間は、「高校生おむすびプロジェクト」に携わることとなりました。

玉野の特産品である雑穀・海苔・塩は、おむすびの材料となる。おむすび材料のそろう町。イベントブースで高校生おむすび「玉結び」を製造販売するプロジェクトです。担任でもあり、課題研究の担当だった先生に「一緒にやってみよう、絶対できる」と声をかけられ、一晩考えて、やることに決めました。高校3年生は、おむすびに持っていかれたと思います。

――とにかく身についたことは、今でいう「バックキャスト思考」だそう。

目標を達成するために、逆算して考えることを徹底的に叩き込まれました。いうなれば段取り力。おむすびを調理して提供する。そのためには、ご飯を炊かなければならなりません。調理室の炊飯器をフル稼働させるが、この時間を誤るとすべてがずれていきます。イベント開始に間に合うようにすべて、計算して、200個以上のおむすびを作り、宇野港まで運搬し、販売する。チームで動くことも学びました。

このプロジェクトは2年目でした。自分としては初めてですが、「商品」自体は2周目です。商品のライフサイクルでいうなれば、「成長期」にあたるマーケティングが必要になってきます。商品を飽きさせず、しっかりと育てていかなければならない時期です。

商品の企画は、とことん楽しかった。玉野から少しフィールドを広げ、瀬戸内海でつながるエリアにも目を向けた。直島の塩や海苔を食材にし、「せとうちおむすび」と銘打ちました。マーケティングを実際の課題解決を通して学びました。

――高校卒業後の進路は、引き続き商業が学べる大学を選んだという。どんな大学生活だったのだろうか。

大学時代になっても、おむすびプロジェクトで学んだことをアルバイトにも活かそうと思い、岡山駅構内 新幹線コンコース内の物販店でのアルバイトを選びました。
「売るためには工夫が必要」というマーケティングのそもそもが実践できた時間です。

例えば、新幹線型のペットボトル飲料。ペットボトルだからと立てて置いているが、やっぱり車両なので横でしょう。そして、お子様によく見えるように目線の低い位置に置いた。販売点数が見る見るアップしました。

大学3年生では、新型コロナウイルス感染症の影響が駅構内を直撃。コンコースは閑散とし、数えるほどのお客様しか来店しない日もあった。社会の影響が直結する駅を目の当たりにしていました。

大学では、旅行研究同好会を立ち上げ、カメラも乗り物も大好きでそれを叶える旅行を仲間と共有できる場を作りました。ゼロベースでものを考えること、これは、高校生おむすびの商品企画やプロジェクトで学んだことです。仲間とゼロベースで物を考えることは怖くない。むしろ楽しいですね。

大学3年生の時、新型コロナウイルス感染症拡大により、様々な生活に制限がかかりました。特に「観光」。岡山駅でのアルバイト、コンコースに人がいない。来店客数も激減どころか、誰もこないに近い日もありました。せっかく立ち上げた旅行研究同好会もやりたいことがやれなくなり、本当にどうしようかと思いました。

でも、研究会では、オンラインでもできることはあると思い、オンラインで地元の紹介をしあったり、オンラインツアーを企画して、Zoomの中で色んなところに旅をしましたね。

感染症のおかげで見えてきたこともあります。できない理由を探すのではなく、どうすればよいか。と自分の頭で考える。仲間と一緒に議論し合う。納得できることを時間をかけて見つけました。

――社会人1年目。結局、アルバイト先でもあった鉄道系企業に就職した理由は何だったのだろう。

実は他の企業も内定をいただいていましたが、自分がやりたいこと、納得できることを導き出し、今の職場を選びました。レジに立っている数秒間で想像力をフルに働かせる。新幹線売り場のお客様は、時間が限られている。小分けの紙袋のこと、レジ対応の所用時間、想定できることは準備しておく。

今は、駅構内のコンビニエンスストアで研修中です。お客様は、まさに一期一会。もう2度と会わない方もいます。岡山の最後の印象を作るのも僕たちかもしれないのです。
ゆくゆくは、商品企画をしたいと思っています。ディスティネーションキャンペーンもあるし、岡山らしい商品開発を目指します。

ここまで話してきて、順風満帆だと思われているかも知れませんが、実は大失敗もあります。高校のころ、文化祭で自分たちで、おむすびを出そうとした時のことです。
このエピソードを先生が学校誌に暴露した文章を僕は今でも大切に取っていて、いつもくじけそうなことがあった時に手に取るようにしています。それがこれです。

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おむすびの力 商業科 川崎好美

今年の文化の部模擬店「カツむすび」Aブロックの模擬店店長は、「玉結び」高校生むすびプロジェクトのリーダーNくんであった。「課題研究」で取組んでいる玉野の特産品を使った「玉結び」の販売の中心メンバーであり、おむすびへの愛は誰よりも深い。そんな彼を中心に、Aブロックならではの企画を考案。黒米で炊いたご飯の中に勝利をかけて「かつ」を閉じ込め、ぎゅっと結んだおむすびである。それに合わせてだし汁を加えて、浸して食べると、絶品…のはずであった。

模擬店の販売時間が始まると、炊飯計画がうまく実行できず、ご飯が炊きあがらず、時間内に販売できなかった。特例として、文化祭終了後の販売が認められた。これに対して模擬店の責任者であったN君は、閉会式で、誠意のこもった案内とお詫びの言葉をのべた。昨年度よりプロジェクトを担当している私にとっては印象深い場面であった。

N君を中心に玉野の食材を使って模擬店をしようと生徒自らで企画し、実践したこと。このことで、多くの生徒に「玉野の特産品でおむすびの材料がそろうであること」を知ってもらえた。「玉結び」の取組を通して得たノウハウで、自分たちもやってみようと挑戦したこと。このことで、自分たちで実際にやってみることの難しさも体感したのではないか。本気の失敗には、価値がある。本気で取り組んだことに対する失敗だから、前売り券を購入した生徒も教員も温かく見守った。自分たちで玉野らしいことをやってみよう!というガッツとできなかったことに向き合った彼らの姿勢を賞賛するとともに、今後に期待している。

地域にある良さを大切にし、産業や文化を支える役割を引き受ける気概を持ち、工夫と挑戦を続けられるガッツある大人になって欲しいと思う。

(「あゆみ」玉野市立玉野商工高等学校より原文一部抜粋)

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――実社会は、プロジェクトの連続である。人生そのものもプロジェクトと言えるかもしれない。正解はなく、納得解を生成していくことが求められる。個人で、チームで意思決定を伴う経験をする。先を見通すことが難しい社会にあっては、最適解を見出して決める力、失敗したときに起き上がる力も含めて大切な能力になってくる。

変化の激しい時代に求められる力を身に付けるための学び方…PBLの真の成果が分かるまでには、少々時間がかかる。社会人となった彼らを見て、教師は、ようやく「答え合わせ」ができるのかもしれない。

文:川崎好美(取材当時:岡山県立倉敷商業高等学校教諭 現:岡山県総合教育センター)