財団と人

#035 松川えりさん

てつがくやさん

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  • 2026.03.05

松川さんの「哲学」がはじまったのは小学3年生のとき、「この色、本当は何色だろうか」という、ホントのホントにホントのことって何か知りたいという気持ちからでした。大学時代には哲学対話を実践・サポートする団体「カフェフィロ」を設立し、その後もひたすら哲学の道を歩み続ける松川さんにお話をお伺いしました。(聞き手:森分志学)

哲学カフェとの出会い

森分:松川さんがこれまでの歩み教えてください。

松川:大学入るとき何を専攻するかを決めてなかったんですよ。臨床哲学の授業をたまたまに取ったら、そこで気になる先生に出会って臨床哲学を専攻しました。大学院に進学したとき、先輩たちが哲学カフェをやっていて、先輩を手伝っているうちに、研究そっちのけでハマっていきました。その流れで、大学外の活動グループとして「カフェフィロ」を作って、副代表・代表を担当しました。

その活動が認められて、大阪大学のコミュニケーションデザイン・センターに6年半、特任研究員として働きました。コミュニケーションデザイン・センターでは、哲学対話だけでなく、サイエンスコミュニケーションやアートコミュニケーション、まちづくりなどの専門家がいました。専門がバラバラな中、たくさんの人たちにコミュニケーションデザイン・センターにアクセスしてもらえるよう広報担当として実践していました。

そのとき既に、大学時代からの知り合いだった夫は岡山で仕事をしていて、結婚前から「先に仕事決まった方に住むとこ合わせよう」という話をしていたので、結婚後、岡山で暮らしながら大阪に通うことになりました。大阪で仕事をしながら、2012年から岡山でも少しずつ哲学カフェを始めました。その頃まだ岡山では哲学カフェはほとんど知られていなかったのですが、徐々に知られるようになり、2016年から「てつがくやさん」と銘打って活動の中心を岡山に移しました。

森分:大阪大学でお仕事しながら、岡山でも哲学カフェを始められたのですね。それから今に至るまで、活動はどのように変化してきたんですか?

松川:まずは協力してくれる人を探そうと思い、1年半くらい色んなところに顔を出しました。シネマクレールという映画館の会員集まりから、岡山大学の岩渕先生を紹介してもらいました。先生は、「まちなかキャンパス」という取り組みで対話の場を作りたいと考えていたらしく、意気投合しました。

そこに出入りしていた公民館の方や学校の先生から「うちでもやりたい」と呼ばれるようになり……という流れで人づてに広がっていきました。岡山の人たちはジャンルの垣根を越えて繋がる印象があります。まちなかキャンパスに行ったら公民館に繋がり、本屋さんに繋がり、学校、美術館にも繋がる。いろんな人がゆるやかに集まるネットワークができていると感じました。

松川:ジャンル問わず1人1人と繋がるという感じで、「個人が見える」ことが大きかったです。例えば、公民館職員の方が「○○さんは哲学カフェ好きそう」と、紹介してくれたり、福祉施設や放課後デイサービス、医学部の方とつながったり。最初の頃は、何か窮屈さを感じている人に響いてのかと思ってたんですけど、今は知ってくださる方が増えています。

様々なコミュニティに広がる哲学カフェ

森分:色んなコミュニティで哲学カフェを開かれているんですね。意外と哲学と相性がよかった場所ってどこだったんですか?

松川:一つは、学生時代に行った育児サークルですね。それまで哲学カフェは名前の通り、カフェや喫茶店でいろんな人たちが集まって行うものだったのですが、育児サークルで行ったときは先輩たちも心配していました。お母さんはみんな知り合い同士で偏りを感じていたんです。しかし、いざやってみると、1人1人の個性が分かってきました。よく考えたら当たり前なんですが、23,4歳の小娘の私は「みんなお母さんだ」と思って、1人1人を見えなかったんだと思います。

岡山でも子育てをしている親たちのコミュニティで哲学カフェを実施していて、同じように哲学との相性の良さを感じます。

もう一つは、障害を持つ人たちの就労支援を行っている施設です。最初は上手くできる不安でドキドキしていたんですけど、やってみたら「哲学友達がここにいっぱいいる」と思えるくらい、ぴったりハマりました。

森分:覚えているやりとりなどありますか?

松川:みんなで「当たり前とか普通って何なんだろう」と疑問を出し合えるんです。最近面白かったのは、スタッフの方が普段の就労支援の会話の中で何気なく「○○さんには自分らしく生きてほしいんよ」と言ったことから、哲学カフェのテーマに「自分らしく生きるってどういうこと?」というのが出てきたことです。スタッフの人としては何気ない一言だったけど、その人はずっとどういうことか考えていて。ナチュラルにそういう問いを浮かぶ人を、私は「哲学グセのある人」と勝手に呼んでいます。

自分もそういう子どもで、子どもの時は「そんなこと言ったら変な子って思われるかも」って思って、こっそり考えてたんですけど、その就労支援施設では、私みたいな疑問を持つ人がたくさん見つかって嬉しかったんです。

てつがくやさんが取り扱うもの

森分:そこから活動は順調だったんですか?

松川:思ったよりニーズがあるなという手応えを感じ続けています。私が行っている「てつがくやさん」のような立場は、海外では哲学プラクティショナーと呼ばれています。日本ではまだ生業としている人がいないので、今のニーズに対してどう対応していこうかはずっと考え続けてきました。

森分:今の活動では、特に力を入れていることはありますか?

松川:実はあまり決めていないんです。「てつがくやさん」をやるときに、パン屋さんをイメージしたんです。もし町にパン屋さんが一軒もなかったら寂しいでしょうし、日本一のパン屋さんが東京にあっても遠いと買いに行けないじゃないですか。岡山に一軒、そこそこ美味しいパン屋さんがあれば十分大事ですよね。

それに、パン屋さんが一軒しかないなら、食パン専門店ではなく、菓子パンも惣菜パンもフランスパンも揃えているほうが嬉しいですよね。私も「てつがくやさん」として、あれこれ幅広く対応したいんです。専門を絞った方がいいと言われたんですけど、今の時点では担い手が私1人なので、色んなパンを置いているパン屋として、ゆるやかにつながれる岡山のネットワークを活かしたいです。スケジュールさえ合えば、どんなテーマでも一緒にやるつもりです。

ただ、日本全体では色んな広がり方をしています。哲学カフェはあくまで一つのスタイルで、フランス発祥のやり方です。他にも、子ども向けのものや1週間かけてじっくり合意を目指すタイプ、一対一のカウンセリングタイプなどがあります。特に、日本では探究学習が進んでいる現状ともマッチして、ハワイ流のやり方が結構広がっていますね。

ビジネス方面では、企業研修や企業内哲学者を置こうという動きもあります。哲学コンサルティングと言われていますが、取締役に哲学者がいるのです。

森分:松川さんの専門はジェンダー/セクシュアリティの哲学だそうですが、具体的にはどんなことをやるんですか?

松川:ジェンダー/セクシュアリティに関しては、ライフワークとして行っています。例えば、岡山市の男女共闘参画社会推進センターと哲学カフェを何回か実施しました。「異性のともだちってどんな存在?」「ピルに抵抗ってある?ない?」というテーマを取り扱ったり、性的同意に関する有名なイギリスの動画を見て対話する企画などをやりました。子ども向けには、『せかいでさいしょにズボンをはいた女の子」という絵本を小学生と一緒に読んで考えたりしました。

また、別の地域では、子どもと大人が一緒にセクシャルマイノリティを考える企画をしました。初年度は「小学生にセクシャルマイノリティの話は難しいんじゃないか」という声があり、別のテーマで話すことになりました。

しかし、いざ話してみたら、子どもたちのほうがLGBTQのことを自然に知っているし、受け入れていることがわかったんです。2年目は地域のLGBTQ関連の団体とコラボして、「味方って何?」をテーマにしました。「味方がいるなら敵がいるの?」とか、そういう意見の分かれ方をじっくり考えたりして面白かったですね。

哲学の定義はとても難しい

森分:松川さんにとって哲学って何でしょう。

松川:哲学の定義って、哲学者によって千差万別なんですよ。哲学カフェで参加者の方から聞かれたときは、「今までで、あれなんか普段のお喋りと違うなと思ったら、それが哲学なんじゃないですかね」と答えています。初めて参加する人には「正解が決まってないような問題について、いろんな角度から多角的に、じっくり深く探究することです」と説明しています。

ただ、あくまで暫定的で予防線を張っている説明でもあります。哲学カフェでは、自分と違う考え方を聞くことになるのですが、それは怖いことでもあります。たとえば「女性は結婚して専業主婦になるのが一番幸せ」という人がいたら、私は「えっ」と思ったりします。でも「違う意見があっていいんですよ」と初めに言っておくと、シャッターを下ろしそうになっても「ちょっと聞いてみようかな」となる。同意しなくていいけど、理由を聞くと何が見えてくるかもしれない。たとえば「自分の母親がそうやって幸せそうだったから」という話だったら、「たしかに、全ての女性がそうではなくても、結婚して専業主婦になるのが幸せと感じる女性もいるよね」と部分的には納得できたりします。

森分:なるほど。

松川:私が哲学を好きになったのは、「本当の本当のことって何だろう?」と追究したくなったのがきっかけです。小学校3年生のとき、教科書で「蜂の色の見え方は人間と違う」と読んで「じゃあ本当の色って何?」と疑問を持ちました。人間が正しくて蜂が間違いっていうのは傲慢だと思うし、人間同士でも色の感覚は違いますよね。そこから「本当とは何だろう」とずっと考え始めました。

森分:それは、答えを出したいという欲求か、答えを探している過程に対する欲求かどちらなんですか?

松川:両方ですね。だから、正解がない問題を考えることについて、答えがないというよりは、答えがあるかもしれないし、人の数だけ答えがあってまだ決まってないのかもしれないと考えています。自分なりに納得がいくまで掘りたい気持ちもあります。小学校3年生のときの色の問題は、1週間ぐらい考えて、そもそも色だけじゃなくて「本当っていうのはこの世にあるのか」って考えた後、赤を赤とする「本当」は、言葉の次元にあるのではないかと思いました。

森分:それは答えを求めるアプローチが「言語」と「自然科学」の両方があるということですか?

松川:そうです。言語でも、言語をゲームとして捉える研究もあるし、言語に含まれてる社会や文化に注目する研究者もいます。そもそも哲学は「知を愛する」という意味で、昔は科学も含めてフィロソフィーだったんです。ただ、現代は分野の細分化が進んで、残り物みたいな学問と言われていたりもしますが。

哲学は何を与えてくれるかは、参加者が教えてくれる

森分:哲学は何を与えてくれるのか、松川さんはどう考えていますか?

松川:私は哲学が楽しいから続けてきた人なので、自分自身の中には、何を与えてくれるかに答えるものはないんですが、哲学カフェの参加者が逆にそれを教えてくれます。たとえば、育児サークルのお母さんたちからは、「家族で問題が起こったときや、ご近所で意見が違う人と話し合うときに、ちゃんと言葉にして相手の考えを聞いてみるようになった」と聞きました。それまではわざわざ子どもの意見までしっかり聞こうと思わなかったし、夫と考えが違うときに話し合うのも難しかったけれど、哲学カフェを経験して変わったそうです。

就労施設の代表も「暮らしや人生でぶつかるモヤモヤを自分の視点だけでなく、いろんな視点から考えてみると糸口が見つかる」と言っていました。解決に至ることもあれば、別の角度から見てみると実は問題じゃなかったと気づく場合もあるし、問いの立て方自体が違ったとわかることもあるんです。

だから大きく言えば、暮らしの中で出てくる問題を色んな角度から深くじっくり考える機会が必要だと思っています。普段そんなことばかりしていたら生活がままならないかもしれませんが、ときどきでも練習しておけば、いざというときにやりやすくなる。普段はシャッターを下ろしていた部分を少しだけ開けてみようかな、と思えるようになるし、違う考えの人と話すのが怖くなくなるんです。

人は大事なことを初めて言葉にするとき、上手に話せなくてたどたどしくなるものですが、そこで諦めないことで、新しい考えを生み出すことができます。自分と違う考えの人と話すのを怖がらないでできることは民主主義をつくるずっと手前のところで必要です。変に迎合したり、変に圧をかけるんじゃなく、違う角度からも見てみることができる。

また、人は自分の考えも意外と気づいてないんです。他の人の考えはもちろん聞かないとわかんないですけど、自分の考えも気づいてなかったりします。自分が根っこにどういう考えを持っているかが見えたりすることも大事だと思っています。

森分:哲学カフェで原点に立ち返ることで、別の思考回路を得られるのかもしれませんね。たとえば人文科学の問いを軸に考えてきた人が、哲学カフェで一度原点に戻り、自然科学的な問いへ移ることで「ここに解決策があった」と発見することもあるのかなと。

松川:哲学は答えを見つけるより、問いを立て直すことが得意だと感じます。解決自体はほかの分野が得意かもしれませんが、うまくいかないのは、問いがうまく立っていない場合も多いんです。それを立て直すのが哲学の役目だと思います。

森分:ずっと原点に留まる選択もあるけど、そうじゃなくて原点に戻ったら、また日々の暮らしに戻っていく。先ほどのお母さんの話のように、別の観点から世界を捉え直す力がありますね。

松川:そうですね。だから、出前スタイルに自然となるんです。月1回、その方たちのところに行って哲学の時間を1~2時間持つんです。またそこから日常に戻って暮らすことが大事ですよね。考えすぎて苦しくなるタイプの方には、一旦保留する方法も必要です。悩みすぎて何も手につかなくなるときは、問いを言葉にして脇に置いておくんです。私自身、小学生の頃に「本当の色ってなんだろう」とぐるぐる考えたとき、言葉にすることで一旦保留できるとわかりました。そうしないと苦しくなるだけですから。

他の地域の実践者にもシェアしていきたい

森分:松川さんがこれから目指す未来について教えてください。

松川:私が岡山で「てつがくやさん」をやろうと思ったのは、ジャンルを絞らず、みなさんのニーズから「哲学って何ができるんだろう」を実証していきたかったからなんです。

これまでは実践が中心で、哲学者同士で発表したりシェアしたりすることを、ちゃんとやってこなかったんです。「哲学が何をできるのか」「町にどんなニーズがあるのか」をしっかり示せたら、岡山だけでなくほかの町でも応用できると思うんです。

大阪や東京だからできると言われがちですが、岡山でも十分できるし、むしろ居心地がよくて、やってみてよかったなと思っています。他方で、就労施設のように参加者が限定されている場所の取り組みは見えにくいので、今後はそういう活動も含めて、もう少し他の地域の哲学対話の実践者に向けて発信していきたいとも思っています。

森分:ありがとうございました!

(取材日:2023.4.18)