国吉康雄 A to Z

Japanese Toy Tiger and Odd Objects

日本の張り子の虎とがらくた

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  • 2023.04.10

国吉や作品にまつわるコラムをA to Z形式で更新します。

1932年 | 油彩 | 85.3cm×125.7cm | 福武コレクション蔵

テーブルにいろいろなものが乗っている。が、中でも気になるのは、こちらを見ている張り子の虎だ。

虎はまん丸い目を見開き、歯を出して笑っているようだ。黒い鼻、眉や口ひげ、虎としては奇妙な大きな赤い耳、斜め上に向かって長くのびた尻尾。なんだかマンガのようだ。一方で、突っ張った4本の足はいかにも「置き物」といった感じで、生気のある表情とはちぐはぐな印象だ。

その周りには、大きな水差し、赤いバンダナ、ひものついた双眼鏡、白い茶碗のような器、何本かの細長い円筒状のもの、カーテンを止めておくタッセルのようなものが横長の四角いテーブルの上に置かれている。テーブルの背景は黒っぽい色で塗られていて、ここがどういう場所なのかわからない。まるで写真撮影用の背景布の前に置かれたオブジェのようだ。そう、このテーブルの上のものは、「見られるため」「描かれるため」に置かれているのだ。

これは画家が「静物画らしい静物画を描こう」と意図して、対象物を選び、アトリエのテーブルに注意深く配置して描いた絵なのだろう。水差しやバンダナなどは、「いかにも静物画らしい感じ」を醸し出すために選ばれているように思われる。それらを国吉は卓越した技術で描いた。構図、色の選び方、重ね方、筆の運び方が非常に的確で、そして仕上がった絵は国吉独特の、ほかの誰にも真似できない1枚である。「上手い。そして上手いだけでなく独創的だ。国吉はプロフェッショナルな画家なのだ」と感じさせるために、この絵は国吉が示した見本なのだろう。

しかしそれにしても、この張り子の虎は何だろう。

「この虎の置き物は何だ?何を意味しているんだ?」と、1930年代のニューヨークでこの絵を見たアメリカ人たちも思ったことだろう。「たぶんこれは日本に由来するものだろう。クニヨシは、自分が“日本の文化を背景に持っている”ことを主張しているのだろうか? 虎はなんだかずいぶん笑っているようだが・・・」と、煙に巻かれたような気になったのではないか、と思う。

そして現在でも、この絵に対しては「国吉は郷愁を感じ(注1)、日本の張り子の虎を描いたのだ」「自分は二つの祖国のはざまにあるというアイデンティティを表している」「アメリカで画家として生き抜こうという決意を表明したのではないか」(注2)、そして「これらのものの組み合わせは意味ありげではあるが、結局のところ何を表しているかわからない」など意見百出で、皆、依然として煙に巻かれたままなのである。

この絵を見て誰もが最初に感じる「何だか変だな」という違和感、深刻なようでちょっとふざけているような感じ。そういった心の動きを、国吉は見る人と共有したかったのではないだろうか。国吉康雄は絵を描く能力だけではなく、アメリカという国で、画家としての自分をどのように見せ、売り込むかというプロデュース能力に長けていた。その彼が、見る人の思考や心の動きをうまく誘導しつつ、それでも、絵を見る人と自分との間でともに持ちたかったのは、そのような心の動き、明るいユーモアといったものではないだろうか。張り子の虎の口から、国吉康雄の笑い声が聞こえるようだ。

注1:
国吉康雄はこの絵を描いた前年、危篤の父親を見舞うために数十年ぶりに岡山に帰郷した。そして岡山で張り子の虎を購入し、アメリカに持ち帰った。

注2:
国吉康雄は、帰郷のあと「自分は日本よりむしろアメリカのほうに属している」と思ったことを後年述懐している。
「私は日本への帰郷を楽しんだが、これほど長く離れていた後では、順応するのは難しいと思った。奇妙で不自然だと感じた。私はそこには属していなかった。(略)私は1931年の2月に帰りの船に乗った。私自身が選んだ家が自分の家なのだと強く思いながら。私は再び、子供の頃の夢だった岸に着いた。今回は友人たちが挨拶してくれ、奇妙さを感じない国(アメリカ)に帰って来られて嬉しいと思った。」(”East to West,” Federation of Art Magazine, 1940年2月より、江原訳)

更新日:2017.04.14
執筆者:江原久美子