Radio City Music Hall
ラジオシティ・ミュージックホールの壁画
国吉や作品にまつわるコラムをA to Z形式で更新します。

ニューヨーク・マンハッタンの中心部に、ロックフェラー・センターという、超高層ビルを含む複合施設がある。1929年の大恐慌のあと、大富豪ジョン・D・ロックフェラーが巨費を投じて建設したこの施設は多くの雇用を生み、また施設内を装飾するための壁画やレリーフ、彫刻作品などが大量に発注されたことで、当時のアーティストたちを経済的に援助する役割も担った。
ロックフェラー・センターには、ラジオシティ・ミュージックホールという大きな音楽ホールがある。1932年、国吉康雄はこの女性用化粧室に壁画を描くという仕事を請け負った。現在も残るその壁画は、四方の壁と、それに続く丸い天井全体でひとつの作品となっている。淡いピンクと空色を基調とした背景に大きな葉や花が描かれており、室内を訪れる人は自分が小さな虫か動物になって、空の下、植物の間にいるような視点を楽しむことができる。その優美な筆致からは、女性たちの、音楽や演劇の幕間を過ごす気分を盛り上げようという国吉の演出が伺える。
国吉は、発注者の意向や、この室内で過ごす女性たちの気持ちを想像したのだろう。彼はいつもキャンバスに描いていた画風とは異なったテーマ、筆致を選び、与えられた目的に合わせてこの壁画を描いた。国吉による壁画作品はほかにはなく、これが唯一のものである。
建物の壁や天井に直接絵を描く壁画は、古い時代から存在する。しかし20世紀になってからは、壁画は政治的なメッセージを強く伝えるための手段としても描かれるようになった。1910年代から20年代のメキシコでは、農地の解放や富の格差に対する庶民の反発が革命に発展し、この「メキシコ革命」の理念を伝える手段として壁画が盛んに描かれた。メキシコで始まった壁画運動はアメリカにも大きな影響をおよぼし、多くの画家が社会的な問題意識を人々に訴える手段として壁画を描いた。
ロックフェラー・センターにはメキシコ壁画運動の第一人者であるディエゴ・リベラも招かれ、RCAビル75階で壁画を描いた。このとき助手となったのがベン・シャーン、ジャクソン・ポロック、野田英夫らだった。国吉康雄とディエゴ・リベラたちは、ほぼ同じ時期に同じ場所で壁画制作に取り組んでいたのだ。
しかしリベラたちが描いた壁画は、公開を待たずに撤去されてしまう。壁画は人々の闘争を主題にしており、その中心近くに、様々な人種に囲まれ、その手を取るロシア革命の指導者、ウラジーミル・レーニンが描かれていたことが問題視されたのだ。
ロックフェラー・センターで制作されたこれらの壁画には、絵画がもつ二つの機能が象徴的に表れている。一つは国吉の壁画のように「絵を見る人の状況を想像し、見る人がそれぞれの感情を抱くように促すこと」であり、一つはリベラの壁画のように「理想を説き、社会を動かしていこうとすること」である。壁画という手法は、空間そのものを作品化し、見る人を包み込むことで、ときに大きなインパクトを与える。画家たちは壁画がもつ力を知り尽くし、それを人々に向けて投げかけていたのだ。
※自身も壁画制作の第一人者として活躍した野田英夫と、国吉康雄の二人展が熊本県宇城市不知火美術館で開催中です。ぜひご覧ください。
更新日:2019.1.21
執筆者:江原久美子・才士真司