#044 北口ひろみさん
特定非営利活動法人 備前プレーパークの会 代表理事
子どもが自然のなかでのびのび遊び、育つ場へ。
想いを貫いた20年間

2025年度福武教育文化賞を受賞された方のこれまでの取り組みや今後の活動について取材しました。今回お話を伺ったのは、20年前、備前市にある自然豊かな里山を拠点に、子どもたちが自然のなかで遊びながら育つ「備前プレーパークの会」を設立した北口ひろみさん。地域の方と助け合い、場を開き続けてきた北口さんのこれまでの軌跡と変わらない想いとは。(取材・文/橘 春花)
手づくりで始まったプレーパーク
――備前にプレーパークをオープンして20年。北口さんが活動を始めたきっかけを教えてください。
30年前、地元の岡山を離れて孤立した子育てで悩んでいたとき、テレビでプレーパークの存在を知り、こういう場所で子育てができたら……とずっと思っていました。夫の地元である備前市に戻ってからは、日本で初めて「プレーリーダー」の職に就いた天野秀昭さんの講演会や勉強会にも足を運んで、いつしか「自分でプレーパークをつくりたい」という気持ちに。教えて育てる「教育」だけでなく、自ら遊んで育つ「遊育」の時間が必要だと強く思ったんです。
最初の遊び場は自宅の庭につくりました。穴掘りしたりひみつ基地をつくったりして、わが子と近所の子どもたちがのびのびと遊んでいました。でも、だんだんとこの時間を過ごせるのがわが子たちだけでいいのかな?と思うようになって。たくさんの子どもたちが豊かに遊び育ち、親同士がつながりながら子育てできたらどんなにしあわせだろうと。そんな想いを周りに伝えているうちに仲間ができて、備前プレーパークの会を立ち上げることになりました。
――2005年には、備前市の公民館で初めてプレーパークを開催されていますね。
当時は資金がないのでドラム缶や竹、木材などを持ち寄った手づくりのプレーパークでした。それでも涙が出るほど嬉しかったのを覚えています。そこから3年間は公民館や公園を転々としました。しかし、開催するたびにいろんな壁にぶつかり、2008年には存続の危機に陥ってしまって……。もう諦めようとしたんですが、地主のおじさんが「やめるな。やめたら二度と備前にプレーパークはできんぞ。プレーパークの荷物を全部もってこい。」と手を差し伸べてくださって、山をお借りすることになりました。
そして2009年に「森の冒険ひみつ基地」としてオープン。新たな拠点では、海の見えるツリーデッキをつくったり、竹を使った遊び場をつくったりしました。でも、だんだんと大きなものをつくるようになったことで、「あれ、ここ大人の遊び場じゃないよね」と。私がつくりたいのは、子どもがのびのびと主体的に遊べる場所。これをきっかけに研修を積み重ねて「遊育」の価値をみんなで共有することで、プレーパークらしさを取り戻していきました。
――壁を乗り越えながら、原点に立ち戻ることも忘れなかったんですね。
そうですね。また、東日本大震災を機に備前市に移住者が増え始めて、プレーパークの利用者も増えていきました。すると「不定期開催ではなく毎日開いてほしい」という声をいただくようになりました。でも、スタッフはほとんどがボランティアだったので、毎日開くには事業化する必要がある。そこで、2012年から試験的に週2日開き、2015年には備前市地域子育て支援拠点として週4日に。2017年からは認可外保育施設 森のようちえん「森っこえん」がスタート。「備前プレーパーク!森の冒険ひみつ基地」として週5日運営がはじまりました。子どもがのびのび遊べるプレーパークでありながら、親同士がつながって子育てができる「子育て支援」の役割も担う。今までにない試みになるんじゃないかと夢が広がっていきました。

遊ぶ・つながる場から命を守る場へ
――遊び場からつながる場へと変化しているのが印象的ですね。最初にプレーパークを開いた「森の冒険ひみつ基地」から現在の場所に拡張したのは2022年。どんなきっかけがあったのでしょうか?
「森の冒険ひみつ基地」をつくって約10年が経った頃でした。西日本豪雨やコロナ禍を経験して、次は「命を守る場所」が必要になってきました。そこで、少し下った耕作放棄地を整備して、現在の場所に拡張しました。当時、備前市が待機児童で困っていたので、新しく園舎をつくり、小規模保育園「どんぐりえん」の運営も始まりました。
ただ、保育園をつくりたいという想いが強かったわけではないので、決断にはとても悩みました。子どもたちがのびのび遊ぶ環境はすでにできているし、たくさんの親子も利用してくれていて、私の夢はもう叶っていたんです。
もしかしたらすでにゴールしているのかもしれないと思って、ある人に相談したら「ここがゴールじゃないよ、まだ続くよ」と言われました。たしかに、当時、山を貸してくれていた地主さんも体調を崩されて、いつまでも頼るわけにはいかなかったし、保育園をつくることで、場所を変えてプレーパークも子育て支援も森のようちえん事業も続けられる。なにかあったときにはみんなが避難できる場所にもなる。ただただ「どうすれば続けられるか」という選択をしていたら、今の形に辿り着いた気がします。
――現在のプレーパークも手づくりで整備されたのですか?
そうですね。まず、真ん中にシンボル遊具をつくろうというところからスタートして、森のようにしたかったのでみんなと植樹をしたり、赤ちゃんも外で過ごせるように東屋をつくったり。「次はどうする?」とファイヤーサークルや砂場、木工スペース、水場などみんなで相談しながらつくりました。大工さんにも頼りながら、できるところはみんなと一緒に手づくりするスタイルは以前からずっと変わっていません。予算もなかったので寄付金を募りながら、新たなプレーパークをつくっていきました。
――20年間、いろんな壁にぶつかりながらも続けてこられたのはなぜでしょうか?
困ったときに悩みを打ち明けるといつも必要な方が手を差し伸べてくださって。本当に周りに助けられてここまできました。それに、子どもたちがのびのび遊び育ち、つながりあってみんなで子育てする場に、という想いは今もずっと変わっていません。

外遊びのたねまきで「遊育」の価値を届ける
――今回の受賞を聞いた時にはどんな想いでしたか?
びっくりしました。本当に私たちの団体がお受けしていいんだろうかと、すごく心が揺れました。でも、受賞させていただいた感謝の気持ちを胸に、これから岡山県内で子どもたちの豊かな遊び環境を広げようとしている人たちともつながって、束になって、「遊育」の価値を広めていきたいと思っています。
――受賞を機に挑戦したいことはありますか?
これまでは遊び環境づくりとつながりづくりのために拠点を整えて交流の場を広げてきました。でも、これからは待っているだけじゃなくて、もっとまちにでていくことで子どもが子どもらしく過ごせる機会を届けられるのかなと感じ始めています。
というのも、今は共働きが当たり前になり、プレーパークに来たいけど、来ることができない子どもが増えてきました。そこで、車に遊び道具を積んで、備前市内の子育てひろばや園、放課後児童クラブ、学校などを訪れるプレーカーという事業を進めています。ただ単に遊び道具を持っていくのではなく、これまで培ってきた想いも届けられるような態勢を整えて、外遊びのたねまきをしていきたいです。
あとは、これまで特に未就学児までの「遊育」に力を入れてきましたが、学童期でプツっと切れるのがもったいないと思っていて。遊びは学びであり、遊びから探求の世界へとつながります。ぜひ教育関係者の方にも「遊育」の価値をご理解いただけたら嬉しいです。そのために、まちへ地域へ出ていく機会を増やして、伝えていく、発信していく、届けていくことにも力を入れていきたいです。
そして、私たちがサービスを提供する側になるのではなく、子どもをまんなかに、保護者や地域、教育機関、子育て支援関係者、団体、企業、大学、行政など、幅広い分野の方々と手をつなぎあい、心豊かな育ちあいの場を「共に創ること」。それを大切にしていきたいと思っています。
もう一つは、米農家や専門家の方々とも手を取り合って、耕作放棄地や田んぼで泥んこ遊びをしたり、米、野菜、花、果樹などをみんなで育てて収穫をしたりしていくのもいいですね。自然や地域資源を活用し、子どもも大人もしあわせを実感できる暮らしや人生を楽しむ生き方にもつなげていきたいと思っています。

(取材日:2025年10月16日)