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#042 角ひろみさん

劇作家・演出家

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  • 2026.06.26

「常にクリエイティブでいたい」。演劇活動再出発の岡山で創造の種をまきつづける

2025年度福武教育文化賞を受賞された方のこれまでの取り組みや今後の活動について取材しました。劇作家・演出家として各地で活躍する角ひろみさん。地元演劇人のつながりづくりや若手の育成にも尽力しています。転機となった岡山の地で築いてきたもの、そして今後への想いを伺いました。(取材・文/黒部麻子)

岡山には演劇をやめに来た

――まずは活動を始められたきっかけについて教えてください。

 私は兵庫県尼崎市の出身なのですが、尼崎は、宝塚歌劇と吉本新喜劇のちょうど間にある街なんです。そのせいか、子どもの頃からさまざまな舞台に慣れ親しんで育ちました。お友達とよく即興で音楽と物語をつくり、劇ごっこをして遊んでいたのを覚えています。10代のはじめにミュージカルスクールに、その後宝塚北高校演劇科に入り、ずっと演劇をやってきました。

 関西で劇団を旗揚げして10年ほど続けましたが、結婚を機にやめていくメンバーも出始め、劇団を解散し、私も結婚して2006年に夫の出身地である岡山で暮らすことになりました。この先、演劇だけで生活していけるのか分からず、もう演劇はやめようと思っていました。

――現在のご活躍ぶりからは想像できないです。

 私もこうなるとは思っていませんでした。

 転居手続きのために市役所に行ったら、近松門左衛門賞の募集チラシが目に留まりました。尼崎市は近松にゆかりが深く、市が戯曲賞を主催しているんです。そのチラシを見て、応募してみようかなと。もう私はここからいなくなるけれど、自分も尼崎市の劇作家だったということを何か残していきたい、最後に一本好きに書いてみようという気持ちで書いた作品が、岡山へ来てから大賞を受賞しました。

 受賞作は上演もしていただけるのですが、やはりちゃんとやりたいと思い、演劇に復帰することになりました。岡山でも、地元の演劇をプロデュースされている団体から呼んでいただき、戯曲やワークショップなどのお仕事を少しずつもらいながら、関西や東京でも演劇に関わってきて今に至ります。

 子どもが小さいうちは稽古に出られないことも多く、演出はお断りして戯曲でやらせていただくことが多かったのですが、その戯曲が受賞したり、岸田國士戯曲賞の最終候補になったりして、徐々に活動の場が広がっていきました。子育てをしながらでしたし、また、自分の団体を持っていないため発表の機会が自発的にはない状態で、どこまでやれるのか分かりませんでしたが、本当に一歩ずつ一歩ずつやってきました。

ハレノワを舞台に、クリエイティブな活動に尽力

――印象に残っている出会いはありますか?

 ハレノワができたことが、私にとって大きな出来事でした。ここでクリエイティブな活動にたくさん関わらせていただいています。

 高校生と戯曲をつくるワークショップや、「劇場で出会う文学」という、小川洋子さんの作品を私が演出するリーディング公演もさせていただいています。今年は「劇作家フェスティバル2025 げきじゃ!」も開催され、岡山で創造の場が広がっていることが、とてもうれしいです。

 その中で地元の方々と出会い、つながりが増えていきました。岡山に来たばかりの頃は、俳優さんにしても照明さんなど技術の方にしても、「一緒にやろうよ」と誘える人も少ないし、「観に来て」と言える人も少ない。でも、お声がけいただいて創作をやっていると、出会いにつながっていきました。

――角さんが活動の中で大切にしていることは、どんなことでしょうか?

 常にクリエイティブでありたいと思っています。演劇って、美術、色彩、音楽、声や身体などを使う、総合的な芸術だと思うのですが、それらと日々の生活のドラマが組み合わさってできているものだと思うんです。だから、「生活者であって創作者である」ことをいつも意識しています。私自身の毎日がクリエイティブで楽しいものでありたいですし、そのことによって、観る側の皆さんにとっても、日々の寂しさや不安の中で、演劇がちょっとでも力になれたらいいなと思います。

――クリエイティブな暮らしとは、具体的にどんな感じでしょうか?

 たとえばちょっと悲しいことがあったとする。でも、何かを演じて別の状況を思ったり、他者のことをふっと想像したり、今現実で直面している物語が、ちょっと角度を変えれば違う視野で見られるのかもって思ったり。単に現実から逃げる手段でもいいんです。何か想像するとか、歌うとか声に出すとか。そうした創造があると、ちょっと楽になるんですよね。想像と創造は、ひと続きだと私は思っています。

――今まで苦しかったことはありましたか? 

 いくつかありますが、子育てと、演出家としてのキャリアとを考えて葛藤したこともありました。声をかけていただいたのに、子どもがいて地方在住であるために引き受けることができなかった仕事も、結構あったんです。

 それと、関西から岡山に来て、地元で何ができるのかということを、ちょっと見出せていない感じがありました。外から来たという感覚が、いつまでも拭えない。この先、ここで何をどうやっていけばいいんだろうって。でも、岡山で演劇に関わらせてもらっている中で少しずつ、出会った人から気づきをもらっています。

 私は演劇がなかったら、きっとお友達もできないし、人とうまく関われないんじゃないかな。演劇があることで、人に近づいていくステップというか、街と人と自分との間にどんな共通項があるんだろうっていうのを見つけていっている感じがします。

劇作家の少ない岡山で「劇作家フェス」

――岡山劇作家会というのは、どんな活動をされているのでしょうか?

 常々、岡山には劇作家が少ないなと感じていたんです。オリジナルの作品をつくる団体も少ないなと思っていて。そんな中で、口腔癌研究者であり劇作家である河合穂高さんと立ち上げたのがこの会です。

 新型コロナウイルスで街がロックダウンして、ディストピアみたいになった夜に、彼と会って話したんです。「せめてちょっと会おうよ。話そうよ」って。コロナで演劇の仕事がどんどんなくなり、何をしたらいいのか分からない時期でした。たった一軒だけ開いていた店に入って、この先どうなるか分からないけれど、何か互助会のような、拠り所になるようなものがあったらいいねという話をしました。

 まずは何か名前だけでも付けようということになって、付けるんだったら、大風呂敷じゃないけれど、名前自体が物語を持って広がっていくようなものがいいなということで、岡山劇作家会になりました。

 それが「小さい劇作家フェス」につながっていきました。スミカオリさんという面白い方がいらっしゃって、演劇や創作活動が好きな方が何人かで長屋をシェアして借りているんです。スミさんに仲間に加わってもらって、その長屋で「ゆっくりふくらむ岡山の劇作家フェス」をやったのが2023年でした。大盛況でした。ハレノワができたての頃で、プロデューサーの渡辺さんたちも来てくださり、「面白いからうちでやろう」と、翌年からハレノワで開催させていただくことになりました。

――岡山の劇作家が少ないということから会を立ち上げて、その後、手ごたえはありますか?

  少しずつできてきたという実感がありますね。劇作家という存在が表に出ることで、自分もやりたいと思う人や、今まで出会えてなかった人たちに出会えたりする。自分の若い頃を振り返ってみても、やっぱり演じる機会や創作する機会は、みんな探しているだろうなと思います。

 私も何か種をまきたくて、出会った人たちに声をかけては参加してもらっています。地元の若い人たちと一緒に活動できる場になっていることがうれしいですね。河合さんも、出会ったのはまだ彼が学生の頃でしたが、その後、劇作家としてどんどん成果を出しています。やってきたことが今、つながっていってる感じです。当初の狙い通り、よく「岡山劇作家会ってどんな会ですか?」って聞いてもらえるんですよ。

演劇以外の分野の方ともコラボレーションを

――そうした活動が評価されて今回、福武教育文化賞の受賞につながりました。受賞が決まった時のお気持ちをお聞かせください。

 本当にありがたいです。岡山で良い出会いがあり、徐々にフィールドが広がっていっているという実感はあっても、自分が地域に何か影響を与えられるとは想像していなかったので、それを評価していただき、とてもうれしいです。

 これを機に、演劇以外の分野の方とも関われる機会があったらいいですね。本当にいろんな活動をしている方がいらっしゃるので、何か一緒にやれること、何かお役に立てることもあるかもしれない。他の受賞者のみなさんとコラボレーションするような機会もあったらいいなと思います。

 それには、クリエイターどうしをマッチングする、プロデュースするような方がいるといいですね。たとえば尼崎市にはピッコロ劇団という県立の劇団があります。行政が予算をつけ、学校でも演劇プログラムを行っていて、私のような尼崎ゆかりの作家がコラボする機会があるんです。今まで私は創作者として活動してきましたが、何かはたらきかけて、そうした動きができないかなと思ったりしています。

――岡山市も「文学創造都市おかやま」としてさまざまな取り組みをしていますね。

 そうですね。「劇場で出会う文学」も、そうしたことから実現しました。演劇や文学、他の分野もそうですが、地域の事業にクリエイターとして関わっていくということは可能だろうなと思います。今回、賞をいただいたことで、今までやってきたことを知ってもらえる機会にもなったと思います。

――今後特に力を入れていきたいことは?

 やっぱり、ここ岡山から創造に関わっていきたいですね。

 ハレノワで、高校生を対象としたハイスクール演劇にも関わらせていただきましたが、その子たちが数年後には大学生になり、私のような立場になっていく人もどんどん出てくると思うんです。私自身もそうやって関西で育ててもらいました。これからも常に新しいことに関わっていきたいです。

――最後に、これから活動を始めたいな、始めようかなと思っている方に、メッセージをお願いします。

 何でもやってみるということですね。うまくやれないからやらないというのが、いちばん寂しいと思う。ちょっと外に出てみるとか、誰かに声をかけてみるとか、とにかく動いてみてほしい。私たちも、結果がどうなるかなんて分からずにやってるんですよ。

 高校の時に演劇に出会って、演劇や創作に正解はないと最初に教わりました。その言葉がいつも救ってくれるんです。正解がないと思うと、楽になる。ぐっちゃぐちゃでいいから、やりたいという気持ちに正直に、やってみてほしいです。

(取材日:2025年10月14日)