#041 小澤尚子さん
IPU・環太平洋大学次世代教育学部教育学科講師
岡山ならではの題材を躍動感あふれる創作ダンスに。表現力ゆたかな若者を育む
2025年度福武教育文化賞を受賞された方のこれまでの取り組みや今後の活動について取材しました。学生や子どもたちに、踊る喜びを教える小澤尚子さん。10年前にたった5人で始まったダンス部が、岡山ゆかりの創作ダンスで高い評価を受けるようになるまでの道のりと、地域への想いを伺いました。(取材・文/黒部麻子)

たった5人の部員から暗中模索のスタート
――現在の活動を始められたきっかけを教えてください。
芝居好きな母の影響で、幼少期から劇団に所属して子役を務めたり、ダンスやピアノなどのお稽古事を習わせてもらったり、いろいろと経験させてもらいました。なかでも、ダンスが私の自己表現にぴったりはまったこと、恩師に恵まれたことが大きかったですね。その循環として、次は自分が次世代の子どもたちに成功体験の場を提供したいと思うようになりました。
私は福岡県出身で、大学進学を機に上京しました。大学の助手や高校教員を経て大学院に進学し、その後、指導教官の勧めで環太平洋大学(IPU)総長の大橋博先生、学長の大橋節子先生に出会えたことが分岐点だったと思います。大学機関ですから舞踊教育学の研究一筋で考えていたのですが、大橋総長から大学教員と兼務しながらダンス部の監督として部の立ち上げからお任せいただき、研究と実践の両面でやりたいことが同時に叶いました。今年で、岡山に来て11年目になります。
――IPUでダンス部の立ち上げを勧められたというのは、大学にどのような思いがおありだったのでしょうか?
表現力の豊かな学生を育て、未来の教育者を育みたいという方針と、ダンスが本来持っている教育的な価値が合致していたのだと思います。教員養成課程に通う学生たちが、これから小学校や中高教員になるにしても、能面のような表情で授業をしているようでは、子どもたちのやる気を引き出すことはできませんよね。来年度から教育学科に、新たに総合表現コースを立ち上げるのですが、そこでも表現活動を活かした教員養成に力を入れていきます。
ダンス部からは、公務員や教員志望のほかにプロの世界を目指す学生も出てきています。岡山が本社の株式会社木下サーカスさんや、大手テーマパークを経営する株式会社オリエンタルランドさん、合同会社USJさんなどで、プロダンサーとして活躍する卒業生も輩出しています。どの分野に進んでも、真摯で素直に自己表現できる人材は重宝されるでしょう。
そういった総合的な観点からも、表現性の高いダンスに目を向けて、部の立ち上げに至ったのではないかと思います。
――2015年にダンス部が発足。スタートはいかがでしたか?
当時弱冠26~27歳の私が、ダンス部の立ち上げから関わり、監督になる機会をいただけたことは、非常にありがたいことでした。ただ、決して順風満帆でここまで来たわけではなく、1年目は、部員5人からのスタートでした。設備の立派な広い練習場に、たったの5人……。ここからどうやって大きくしていくのか。最初の4年間は暗中模索でしたね。
2017年に、大学近くにお住まいのお母さまから「ダンス教室をつくってほしい」とのお声をいただいたことをきっかけに、総合型地域スポーツクラブ(現在のIPUダンスアカデミー)を立ち上げました。地域の子どもたちは毎週土曜日に大学へ通い、学生にとっては学びをアウトプットする貴重な場にもなっています。そして部員が4学年揃い、30人前後となった頃、ようやく道筋が見えてきたように感じています。

――部を大きくするために何か工夫したことはありますか?
「あなたが一緒に4年間頑張りたい思う高校生を探して、とにかく挨拶にいきなさい」と大橋総長からアドバイスをいただきました。こつこつ頑張っていればきっと認めていただけるはずだから、一緒にやりたいと思ったらどんどん声をかけなさいと。初めてのリクルートだったので、この言葉が励みでしたね。
ただ最初の頃はご挨拶に行くたびに「小澤先生、いつ東京に戻るの?」と言われていました。すぐ東京に戻ると思われていたようで……。たしかに当時の私にとって、岡山では人間関係もゼロからのスタートで、いつまでここにいられるのか分からない状況ではありました。でも、その言葉を聞いて、最低でも10 年はここで踏ん張ろうと決意できたんです。
――ほかに、つらかったことは何かありましたか?
何と言っても、新型コロナウイルス感染症による活動停止の時期ですね。初めて、自分たちではどうにもできない事態に陥りました。私は、これまで教わってきた言葉を信じて努力することで、成功体験を積み上げてきたんです。その経験のおかげで、「こうすればトップを目指せる」「こうすれば学生たちの夢や目標は達成できる」といったような、一定の確信を持って指導にあたっていました。ですが、コロナ禍によってその前提は大きく揺らぎました。これまで描いてきた成長への道筋を示すことができなくなったんです。
あの時期は、全世界が先の見えない状況だったので、皆さんも同じように不安な時間を過ごしたと思いますが、学生に我慢を強いることを伝える時というのが何より心苦しく、つらかった。
感染防止のため、全国大会が中止となり、毎年開催していた卒業公演にもお客さまを入れられない。それでも、卒業公演は彼らにとって1度きりだから、全員で協力して実施しようを決めました。学生たちが大粒の涙を流しながら踊るその光景が、今も忘れられません。4年間の苦労や我慢、この状況の中でも踊れることへの感謝や、舞台に立てる喜びなど、さまざまな感情が入り混じったものだったように思います。それまで本番は舞台袖から見守っていましたが、この年を境に、客席から卒業生のラストダンスを見届けるようになりました。
無観客のホールで懸命に踊る学生や子どもたちの姿に目を留め、テレビや新聞などで取り上げて特集を組んでいただく機会もありました。そうした出来事を通して、自分たちの取り組みが誰かに届いているのだと実感することができました。
苦しい中でも心が前を向いていれば、新たな作品が生まれたり、素敵な出会いに恵まれたりと、必ず良い方向に導かれていくんですね。
岡山ならではの題材で、このメンバーにしかできない踊りを
――竹久夢二や鬼ノ城などをテーマにダンスを創作されているとのことですが、どんなきっかけでこうした題材を選んだのでしょうか。
まずは岡山の方に認知され、愛されるようなチームを目指したい、という使命感のようなものがありました。そのためにはまず、我々がもっと岡山のことを深く知らないといけない。いろいろ探す中で最初に出会ったのが竹久夢二さんの素敵な美人画でした。そのテーマが、当時ダンス部に集まった学生たちとすごくマッチした。その年は、初心者だけどダンスが大好きな男性部員が入ってきたんです。彼は4月に入部してすぐに主役の夢二役に決まり、そこからみっちり練習して8月の全国大会で受賞しました。初めての入賞で、わんわん泣きましたよ。岡山を題材にした作品で評価をいただけるというのは何よりの喜びで、地域とのつながりに手応えを感じました。
夢二郷土美術館の館長さんやスタッフの皆さまにも、そこからのご縁で幾度となく事業に携わらせていただいています。地元の方々が応援してくださるというのは、東京ではなかなか経験できなかったことでしたのでとても嬉しかったです。2017年に受賞した作品ですが、その代の学生が卒業した後も、世代を越えて後輩へ引き継ぎ、今も大切に踊り続けています。そして今年もまた、夢二郷土美術館、夢二生家記念館で踊り継ぐ機会をいただいています。
2020年には、生誕600年を迎えた雪舟さんの山水図をテーマに作品をつくりましたが、その時も岡山県立美術館の館長さんにご協力いただき、山水図の見方や解釈を教えていただきました。数ある山水図の中でも、彼が人生の最期に書いたとされる絶筆を見せていただいた時に「これだ」と直感しました。館長さんから直接ご指導いただいたおかげで、作品の境地に辿り着くことができたように思います。声をかければ真摯に応えてくださる、そんな人のあたたかさが岡山のいいところだと思います。本当にありがたいです。

――岡山ゆかりの題材を、どんなふうにダンスに落とし込んでいるのでしょうか。
例えば竹久夢二さんの場合は、みんなで美術館へ作品を観に行き、どう感じたかをディスカッションしました。それから自分でも描写してもらう。どの絵に惹かれて、どういうところに着眼したかそれぞれ持ち寄って、みんなで鑑賞しました。
今年は、井原市出身の彫刻家・平櫛田中さんの代表作「鏡獅子」をテーマにしました。東京国立近代美術館所蔵の「鏡獅子」が20年ぶりに井原市に里帰りするという、ちょうどベストタイミング。今のメンバーにしかできない踊りをつくりたいという思いがあるので、観に行きました。2メートル超の大きな木彫です。田中さんの身長よりも大きい作品をつくったことがまず素晴らしい、これをやりたいんだと、学生がプレゼンテーションしてくれて題材が決まりました。
具現化していくにあたって、音楽から着想する場合もあるし、衣装からイメージを先行させて制作を始める場合もあります。夢二さんの時は、和気町にある日本一の藤公園を訪れた時に藤の花の小道具を使いたいと急に思い立って、小道具から先にイメージをつくっていきました。心に響いたものや直感的にピンときたものからクリエーションしていきます。
――この度、福武教育文化賞の受賞が決まりました。今のお気持ちをお聞かせください。
東京から岡山に来て、ここで10年は頑張ろうと決めていましたので、その節目で受賞させていただくことになり、本当に光栄です。こうして応援して支えてくださる方々のおかげで、岡山が大好きになりました。あの頃の自分に言いたいですね。続けることに意味があるということ。今では、続けるというのは、勝つことよりも難しいことだと思っています。
「イメージできるものは、必ず実現できる」
――今後の活動で、特に力を入れていきたことがありましたら教えてください。
これからの10年は、岡山へ恩返ししたいと思っています。環境には、本当に恵まれました。学生たちも素直で、足の引っ張り合いがない。踊ったり、自己開示したり表現するには、ここはとっておきの場所なんです。だから、もっと喜んでいただけるようなチームになって、岡山に貢献していきたい。
今、新しい取り組みとしては、60歳以上のご高齢の方を対象としたワークショップを、岡山芸術創造劇場ハレノワさんとの連携企画で携わらせていただいています。経験を問わず、多様な方と一緒にインクルーシブな環境をつくって共生していく環境づくりが、今、私ができそうなことの一つです。
IPUダンスアカデミーには、年中さんから高校生の子どもたちが通っています。系列校の創志学園高校とも連携を図っていますし、そこに大学生、さらに保護者さんの層も含めたら本当に、活動の輪が世代を越えて広がっています。
学生たちには、とにかくいろいろなところに足を運んで、多くの方と出会ってほしい。それが社会で活躍するための肥やしになると思います。そのような学生を育てていくことが、今の私の目標です。
――最後に、これから活動を始めていこうかなと思っている方々に向けて、メッセージをお願いします。
「イメージできるものは、必ず実現できる」これは私の実体験の中で感じた言葉です。裏を返せば、イメージできなければ実現できないということでもあります。
私はこれまで多くの出会いや環境に恵まれましたが、それでも大波小波、いろいろありました。ただ信念として言えるのは、自分の中で、この先のイメージをより鮮明に、具体的に可視化することが大事だということです。
私は、絵を描くのが好きで、いつかこうなっていたいという未来の自分をよく描いています。全国大会で後悔を残さずに踊り切って、仲間もみんな笑顔で充実感あふれる表情をしている。トロフィーを持っている姿や、表彰台に上がっている姿。お誕生日パーティーの絵を描いたりもします。自分の脳裏に焼きつくように描いていますね。お気に入りの色鉛筆で。なんだか私、執念深いですかね(笑)。
でも勉強にも通じると思いますが、可視化することでそのイメージが潜在意識に残る。今までそうやって描いてきた情景は、時間がかかっても全て実現しています。これは、誰もができることだと思うので、皆さんもぜひやってみてください。夢は、イメージした瞬間から動き出します。

(取材日:2025年10月7日)