助成先を訪ね歩く(取材日:2023年12月8日)

20年間続く秘訣は “ウィーク・タイズ(weak ties:ゆるやかな繋がり)”

NPO法人タブララサ

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  • 2024.02.26

助成を受けた団体が助成金をどのように活用してきたのか、またその活動が地域にどのような影響を与えているのかを取材しました。今回は、岡山市を中心に活動するNPO法人タブララサ理事長、利根弥生(としね やよい)さんにお話を伺ってきました。(取材・文/大島 爽)

西川緑道公園

西川緑道公園は、岡山市内中心部を流れる西川用水とその支流の枝川用水の両岸を緑道に整備した公園です。1974年から整備が始まり、続く枝川緑道公園を含めて1983年に完成、全長2.4キロメートル・総面積4ヘクタールの広さです。1980年代後期〜1990年代にはまちづくりの拠点としても注目されるようになり、多くのまちづくり団体が誕生し、街の活性化を図ってきました。近年は週末を中心に市民主体の様々なイベントが開催されています。

NPO法人タブララサ

NPO法人タブララサは、西川緑道公園でのイベント開催をきっかけに2004年に誕生しました。“タブララサ”とは、ラテン語で「白い板」「白紙の状態」を意味します。「エコの要素を取り入れ、おしゃれに楽しく何にもとらわれない真っ白な心で、まちづくりのアイデアを実現する」がコンセプトの、20〜30代の若者が集う団体です。まちづくりとエコロジーに関する分野でチャレンジを続けながら20年間に渡り活動してきました。

現在、活動の主軸は二つあります。一つはイベント時のゴミ削減を提案する「エコスマプロジェクト」です。これは、リユース食器の普及やゴミ分別など、様々な方法でイベントやフェスからゴミを減らすことを提案するプロジェクトで、令和4年度からは「岡山市市民協働推進事業」にも採択され、岡山市環境局環境事業課とも取り組みを展開しています。もう一つは結婚式場で廃棄されるはずだったキャンドルをアップサイクルする「Happy Share Candleプロジェクト」です。スタッフの手で蘇らせたキャンドルを用いて活動を展開し、「西川キャンドルナイト」主催のほか、外部イベントでのキャンドルコーディネートやキャンドル作りのワークショップなども行っています。

タブララサの代名詞とも言える「西川キャンドルナイト」は、2023年で18回目を迎え、西川緑道公園のイベントとして長く親しまれてきました。年に1回、春頃に開催され、約3,000個のリサイクルキャンドルが灯された公園で、誰もが思い思いに過ごせる特別な時間を提供しています。

自然な“新陳代謝”で、変わっているけど変わっていない

西川キャンドルナイト 写真提供:タブララサ

―タブララサが活動を始めた経緯を教えてください。

利根(敬称略):2000年代のはじめ、のちに初代理事長となる北川あえが、西川沿いのマンションでフランス語教室をしていた頃に遡ります。生徒さんたちと窓の下を何気なく眺めていて、西川緑道公園の人通りの少なさに気がついたと聞きました。「すごく素敵な場所なのに、歩いている人がほとんどいないなんてもったいない。ここがフランスなら私たち市民の場所としてもっと利用するはずなのに……」と。

当時、周辺エリアではフリーマーケットなどが行われることもありましたが、まだまだ日常的に親しまれてはいなかったようです。西川緑道公園は造りとして外側から見えにくかったり、ゴミが落ちていたり。そこで、イメージアップのために何かできないかと清掃活動からスタートしたそうです。やがて行政とも繋がり、「西川という場所をもっと楽しんでほしい」そんな思いでイベントを企画して開催するようになります。盛況だったのですが、イベント後にものすごい量のゴミが出ていることに驚いたそうです。おもにフードやドリンクの使い捨て容器なんですが、「イベントの度に大量のゴミを出し続けるなんてカッコ悪いね」と。この経験をきっかけに、まちづくりと共にイベントからゴミを減らす取り組みをする団体として、2004年にNPO法人化しました。

2005年の西川緑道まつり 写真提供:タブララサ

―利根さんがタブララサに参加したきっかけ、また理事長になった経緯を教えてください。

利根:2010年に所属していたうらじゃ連※の先輩から「私、キャンドルを作っているんだけど、来てみない?」と声をかけられたのがきっかけです。まちづくりや環境問題のためでなく、ただただ好奇心で参加しました。来てみたら楽しいだけでなく、活動の先に大きな意義があることがわかり、やがてもっと深く関わりたいと思うようになりました。

理事長になったのは2017年。それまで長く理事長を務めていた河上直美がタブララサ以外の活動で忙しくなり、彼女をサポートしているうちに引き継ぐことになりました。

※うらじゃ連:岡山県岡山市で開催される、夏祭りの一大イベント「うらじゃ」で踊るチームのこと。

―団体が20年間続いている理由は何でしょうか。

利根:団体に所属するメンバーに厳密な年齢制限はないのですが、いわゆる“新陳代謝”を繰り返しながら、もうずっと20〜30代の若者の団体としてやってきています。ありがたいことに常に誰かがタブララサを見つけてくれて、参加するうちにやがてはまってくれる人も現れるんです。

設立当初から初代理事長の北川が掲げている、“ウィーク・タイズ(weak ties)”という言葉があります。意味は簡単にいうと「ゆるやかな繋がり」で、タブララサの活動をするうえでのキーワードとして大切にしてきました。

年間100人近くのメンバーがタブララサと繋がってくれていますが、全員が残る必要はないと思っています。理事のメンバーたちも、自身の仕事のタイミングや、結婚、出産、それぞれの事情でタブララサに関わる時もあれば、そうでない時もありました。無理に関わり続けることを求めない、でもいつでもウェルカムの気持ちがある、その“ゆるさ”と“柔軟性”が続いてきた理由の一つかもしれません。

2013年の​​西川キャンドルナイト開催後のメンバー 写真提供:タブララサ

―これまでの活動を通じて達成できたことは何ですか。

利根:先日、タブララサをよく知る方が「変化はしているけれど、大切にしていることは何も変わっていない団体。岡山では他にないんじゃない?」と褒めてくださいました。メンバーは時代ごとに変わっても、やっていること、街に関わっていることの軸は20年ずっと変わっていない。

振り返れば、設立から10年まで様々なことに取り組んできた記録があります。10周年という節目を迎えた2014年頃に、現在のタブララサに繋がるベースが固まったと思います。さらに10年間を経て、活動内容がよりシンプルにわかりやすくなってきました。

エコロジーな活動を楽しみながら、地域の強みを活かしたまちづくりを通して、人と人を繋いでいく。無理せずできることに挑戦していたら、いつの間にか、これからも続いていくんだろうなという形ができていたことに、改めて気がつきました。

向かって右にあるのは利根さんが作ったリサイクルキャンドル

また、メンバーにやりたいことが出てきたら、私たちのプロジェクトとして始めることもあります。でも、タブララサはあくまでそのアイディアを形にするまでに整える場であることがほとんど。ある程度、方向性が見えるようになれば、次からはタブララサではない外のプロジェクトにしようねと。他の団体として独立した方が取り組みのカラーも出るし、入り口が変われば、新たな出会いも生まれるからです。自然な循環が増えるよう、タブララサがプロジェクトを抱え込まないことも大切だと思っています。

社会に必要不可欠じゃないけど、楽しくおもしろくありたい

タブララサが貸し出しをするリユース食器の一例

―当財団からの助成は2013年が最後です。当時はどのようなことに助成金を活用したのでしょうか。

利根:当時の中心メンバーの「やりたいことがあるのなら、助成を受けて取り組んでみるのも大事なんじゃないか」という視点のもと、活用させていただいていました。2013年の助成では、西川を中心とした岡山でのまちづくりの活動をまとめた小冊子「ラサッシミニ」を作成。瀬戸内国際芸術祭(※)が行われる年だったので、日英対訳版にして、タブララサの取り組みを広く発信できる機会にならないかと考えました。

※瀬戸内国際芸術祭:公益財団法人福武財団 名誉理事長 福武總一郎氏が総合プロデューサーを務める、瀬戸内海の島々を舞台に開催される国際的な芸術の祭典。2010年から3年ごとに開催されており、日本全国・世界各地から多くの観光客が訪れる。

―当財団の助成金を活用して良かったことはありますか?

利根:発信の機会になったという点で大きな恩恵を感じています。「ラサッシミニ」を自主財源だけで作っていたとしたら、タブララサの活動範囲内での手配りで終わっていたかもしれません。いただいた助成金を、岡山をはじめ社会全体に還元するために、またさらに私たちの活動を必要としてくれる方の元へ届けたいという気持ちが大きくなりました。福武教育文化振興財団さんからのサポートがあることで、自分たちでは広められないステージへ引っ張り上げてもらえたと思っています。

―タブララサさんは早い段階で自走での運営になっていますよね。現在の事業収益はどのようなものになるのでしょうか。

利根:私たちはなるべくなら自分たちでやっていきたいという思いがベースにあるので、助成金がないとできないような活動の仕組みにはなっていません。現在は、リユース食器の貸し出し料や、リサイクルキャンドルのワークショップの講師料など、事業収益で運営しやすいことを活動の柱にしています。

またタブララサの取り組みが社会に必要不可欠かというと、そうではないですよね。私たちが動かないと困る人がいるとか、文化がなくなるとかもないですし。「絶対にこういうことをする必要があるんだ」ではなく、もうちょっとエンターテインメント的な要素があって、「こういうのが岡山にあったらおもしろくない?」というスタンスでやっています。自分たちが楽しいと思えて、自分たちで回せる範囲のことをプロジェクトとして動かしている形です。

2022年のコロナ禍明け久々の西川キャンドルナイト 写真提供:タブララサ

―2024年に20周年を迎えますが、今後の目標を教えてください。

利根:タブララサの20年を何か形にしたいと考えています。今、素材を集め始めていて、タブララサの外の人から見た、タブララサのイメージについてコメントをいただいているところです。“みんなから見たタブララサ”を、30年になる前に一回まとめておこうと。冊子なのかWebサイトなのか分かりませんが、福武教育文化振興財団さんの助成金申請も検討したいと思います。

また、これからも常に若い人たちが動いている、若い人たちが来やすい空間作りは意識していきたいです。きっかけがボランティアでもいいのですが、学校やバイト先、職場ではない“もう一つの場所”として選択肢の一つに、タブララサを知ってもらいたいです。学生にしろ社会人にしろ、今の生活圏内だけで満足している人もたくさんいると思います。でも、そうでない人にとっては、別の場所での関わりがあったほうがいいと思っています。新しいことに出会えるかもしれないし、学生なら大学の中だけじゃなく年も違う大人との繋がりが楽しいかもしれないからです。

タブララサに関わった人たちって、岡山に残ることが多いんですよ。活動していく中で、新たな視点を得たり考え方が変わったりしながら、ここで出会った人たちや岡山という場所への愛着が生まれてくるみたいです。

法人名の「タブララサ」は哲学用語でもあり、人は生まれた時は真っ白で、育った環境、出会った人、経験したことによって観念が形成されていくという考え方です。タブララサに出会い、いろいろなことを体験して考えて、人との繋がりを大切にしながら、それぞれの何かを見出してもらえればなと思っています。

20周年の節目を迎えるにあたって、タブララサのあり方の目標はあっても、ただ続けることを目標にするつもりはありません。それでも、30年、40年とタブララサがあることで、ここに来て良かったと思える人が増えるのだとしたら、やっぱり、明日も明後日も続けていきたいという気持ちはありますね。

おわりに

右:和田広子財団職員

インタビューの後半で「タブララサの取り組みは社会にとって必要不可欠ではない」と聞き、一瞬戸惑うも、その逆説的な表現に清々しい印象を覚えました。タブララサ(真っ白な状態)、ウィーク・タイズ(ゆるやかな繋がり)、1ミリアップ(日々ちょっとずつ変わる)など、タブララサのテーマやコンセプトとして根づいている数々の素敵なフレーズを思えば、彼らの哲学的表現の一部なのだとわかります。歴代理事長のスピリットをしっかり受け継ぎながら、自分の言葉で語れる利根さんだからこそ、20周年に繋げられたのだと感じました。

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