cover’s column

照らされる照明

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  • 2022.07.21

いつもなら、何かを照らすはずの照明に、光が当たっている。何かを照らして影を作るはずの照明に、影が生まれている。

ここは玉野市宇野の商店街にある木造建築。半世紀ほど病院として使用された後、四十年近くそのままになっていたという。瀬戸内国際芸術祭2022の会場の一つで、ムニール・ファトゥミが二十年ほど前パリ郊外で撮影した破壊される建築物の映像と写真が展示されている。

ここで目にしたのが表紙絵の照明で、映像作品の前にぶら下がっていた。職人の手仕事を感じさせる少し波打ったガラスのシェードにもゆらゆらと作品が映り込み、背後には建具と思しきパネルに、照明型の影の部分だけくり抜かれた映像が映し出されている。作品を遮るように物がある。美術館ではまず目にしない光景だ。作品は、他の部屋でも空間と呼応しながら点在している。凸凹した壁や天井、黒光りする床に投影されていたり、机や床に置かれた厚みある古いパソコンから流れていたりする。必然的に、建築や調度品が視界に入る。

約百年前に建てられた建築は、無垢の木材がふんだんに使われ、凝った天井装飾も見られる美しい空間だ。残された品々からもかつてここに居た人々の気配が漂う。その場所に破壊される建築物の映像作品と写真があることで、空間が纏う時間と人々の気配はより一層鋭敏に浮き立つようだった。もし同作品を美術館で見たら、全く別の感覚を抱くに違いない。場所と作品が密接な関係性を持つことでしか生まれない濃密な体験。それは他の瀬戸内国際芸術祭の作品を鑑賞する際にも感じられるもので、深い内省を促す。

〈出典〉fueki78号/2022年5月25日