福武教育文化振興財団

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財団と人

#12 近藤誠一さん | 元文化庁長官

プレゼンテーション:2017.01.14

「文化と地方の力で日本再生を
    ~文明論的視点から~」

2017年1月14日にJunko Futake Hallで開催された福武教育文化振興財団30周年記念フォーラム「ここに生きる、ここで創るvol.6――地域にこそ在る最先端」でパネリストの方がお話された概要をご紹介します。第1回は、元文化庁長官 近藤誠一さんです。

皆さまこんにちは。近藤誠一です。外務省に長くおりましたが、文化庁長官を3年間勤めまして、3年半ほど前に退官しました。今日お話しすることは、42年間に及ぶ宮使い、中央政府に勤めた間に感じたことを凝縮したものと考えていただければと思います。私はアーティストでもなく、文化芸術は単に役人としてそばで見てきただけです。従って今日は平田オリザさん、中島諒人さんという、素晴らしい地域と文化の話をするにはうってつけの日本のベスト2が来ておられるので、私の出番はあまりありません。しかし、折角それが今日のテーマなので、後ほどのシンポジウムのところで少し触れることにして、最初の基調講演のところでは、これまでの役人としての経験に基づいて、やや硬くなりますが、地域と文化の重要性を人間のこれまでの歴史とか世界の今の動き、そういった観点から位置付けてみる、そういうことをしてみたいと思います。

オリザさんも中島さんもコミュニケーションが、当然ですがお上手です。難しい話も非常にわかりやすく話されます。他方役人というのはやさしい話をなるべく難しく言う、外交官というのはさんざん考えた末、何も言わない、そういうふうに言われてます。私にはそれがしみついていますので、なかなかわかりやすく話せません。努力はしますが、テーマも硬くなってしまうので、お許しをいただければと思います。
岡山県との直接の関係はないんですが、岡山大学のスーパーグローバル・ユニバーシティの外部委員の座長をさせていただいて、年に1回か2回、岡山に伺う、そういったご縁があります。時間の制約もありますので、本題に入りたいと思います。

これだけ文明が発達したのに、
どうしてこんなに問題があるんだろう

まず国際情勢です。今トランプ現象とかイギリスがEUを離脱したとかいろんな話があります。70年ほど前に戦争が終わった時に国際連合を中心とする素晴らしい国際秩序ができて、これで世界は平和になる、安全になる、繁栄すると、誰もが思ったと思います。私もちょうど戦後、昭和21年に生まれたんですが、当時母は私に「いい時に生まれたのよ、もう戦争は終わったの。これからは繁栄が待っているんだから、一生懸命勉強しなさい」と。勉強しろといういい口実だったかもしれませんが、そういうふうなのを聞いて、うれしかったし、私なりに一生懸命勉強したつもりですが、70年たった今、本当に当時母が描いていたような世界になっているでしょうか? 全く逆ではないかと思います。たくさんの問題があって、すぐ解決しそうもないですね、一つひとつあげる時間もないですが、テロもあり、温暖化もあり、いろんな紛争があります。移民の問題も大きくなっています。これだけ文明が発達して何でもできるようになったのに、どうしてこんなに問題があるんだろうか。何となくおかしいなと思いながらも、ゆっくり立ち止まって考える暇もないままに日が過ぎているのではないかと思います。「明日朝早いし、今日はつかれているから早く帰って寝よう」という毎日ではないかと思います。

ハムレットの「to be or not to be」という有名なセリフがありますね。「生か死か、それが問題だ」、「生きるか死ぬか、それが問題だ」というように、坪内逍遥とか中野好夫は訳しています。現在の日本のシェイクスピアのナンバーワンの小田島雄志先生は、実は私の恩師です。東大紛争で授業がない時、彼を囲んでシェイクスピアを原文で読もうという会ができました。そこでこの台詞のところに来た時、先生に「お前なら何て訳す」と言われて、我々みんなは「生きるか死ぬかでしょ?」「生か死かでしょ?」と言ったら、先生は、「違う。もし“to live or to die”だったらそのように訳してもいいだろう。しかしto be というのは、そうした2つの積極的なアクションとは違う。」とおっしゃいました。

「Let it be」というビートルズの歌もありましたが、be動詞はある状態が続いているという感じですよね。だから、あえて日本語に訳すなら「このままでいいのか、よくないのか」。そういうことだと。積極的に「死ぬ」とか「生きる」とかという行動について悩んでいるのではないんだということを言われて、なるほどそうだなと思いました。最近、この思いを新たにしています。毎日世界情勢を見ながら、本当に人類はこのままでいいんだろうか、日本はこのままでいいんだろうか。何かしなきゃいけないんじゃないかと。でも何をしていいかわからない。そんな毎日が過ぎていく、それが私の最近です。

それで、池上彰さんも含めていろんな人が今の現況を分析しています。そこで言われていることは、イスラム過激派の台頭とか、アメリカの力が相対的に下がったとか、先進国で経済格差が広まってポピュリズムが広がっているとか、グローバリゼーションへの不安が高まっているということで、それはまさにその通りなんですが、それらはある原因で起こった「現象」であって、それら自体が原因ではないんだと思うのです。今の問題を考えるには、その奥にあるものを考えなくてはいけないと思います。それは何かというと、私なりの分析では、第1に国家というものが思うように機能していないこと。それから我々が当たり前だと思っている自由、民主主義というものがちゃんと機能していないことです。グローバリゼーションが進むことによって、この2つの問題がどんどん深刻化している、ということだと思います。

地球は193の国で分割されています。どこの国にも属さない土地は南極大陸だけです。でも国というものが沢山できたのは、ほんの200年か300年前です。400年前にヨーロッパで30年戦争が終わってウエストファリア条約というものが結ばれたのを契機に、近代国家ができたと言われています。しかし、それも本当にヨーロッパで始まっただけで、いわゆる国家が国境をひいて全部をしきる、それが地球上を広く覆ってしまうというのはここ200年かそこらの現象です。それが当たり前だと思っている我々は、そのことをもう一度考え直さなきゃいけないと思います。

それから自由と民主主義というのも、戦後、それが世界中に広まって、その下で必ず平和が来ると思ってきましたが、それもそうではない、ということを突き詰めて考えてみなければいけません。それが今日のテーマである、地域とか文化の重要性にかかわってくるからです。

国家の問題と、自由、民主主義という、戦後、我々が当然と思ってきた理念の、背景についてちょっとお話をしたいと思います。

17世紀に、先ほど申し上げたように、国家は成立しましたけれど、最近、本来の役割を果たしていないような気がします。テロがあったり、金融危機があっても解決できませんね。大国のアメリカでさえ、解決できない。国内犯罪も増えています。そしてまた一部の国は近隣の大国を含めて、国として本来あるべき国際的な取り決めを守りません。あるいは温暖化問題のように、原因は何か、どうすればいいか、答えがわかっているのにそれができません。更に投機マネーとかテロとか、サイバーテロ等が自由に行き来をしていて、国境がちゃんと守れていない、ということも言えると思います。そして、世界を見ると、多国籍企業や、国際テロ組織のような、国家以外のいろんな団体が勝手に動いています。国家は我々が思っているように、世界を仕切っていないんじゃないかと考えざるを得ません。

自由民主主義は人間が考えつく
一番ましな制度

もう一つの問題は自由民主主義ですね。私も子どもの頃から、学校でも家庭でも「自由民主主義はいい制度だ」「それは人間の究極の社会のあり方です」と習ってきましたし、素晴らしいシステムであると思います。しかし、これまでの世界を見てみると、この制度がうまく機能していません。欧米の先進国が自分のスタイルの民主主義を途上国に押し付けようとして反発されたり、あるいは最近の中国やロシアのように、こうした理念を無視して自分勝手なことをしています。それに加えて最近愕然としたのは、ヨーロッパ、アメリカのように、自由民主主義という理念は普遍的な理念だと言って世界をひっぱってきた彼ら自身の国の中で、大きな問題が起こっていることです。人権は大切だとお説教してきたヨーロッパで移民を排斥する運動が起こっています。

トランプ氏は当選した後も、アメリカ第一主義とか保護貿易的な話をしています。なぜそのような彼が選ばれたかというと、結局、格差が広がって、自由民主主義がちゃんと機能していないからだと思います。アメリカンドリームといって、努力すれば必ずよい結果を産むんだというふうに教わって一生懸命努力してきたけれど、全然暮らしがよくならない。若い人が職に就けない。所詮エリートが自分たちの利益のためにこういう制度を濫用しているだけなんじゃないか。もう綺麗事はまっぴらだということで、先進国の内部でおいてすら不満が出てきているということなのではないかと思います。

それはどうしてか?自由民主主義の制度が悪いのか?そういうことではないと思います。ウィンストン・チャーチルは「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、それ以外の全ての政治体制を除けばだが」と言っています。ひどい制度だが、人間が考えつく一番ましな制度なんだということを言ったのだと思います。彼は今の状況を見通していたのではないかと思います。にもかかわらず、先進国は自分の考えている民主主義こそベストなものだとしてほかの国に押し付けようとしています。自分の信じている制度が普遍的なものだと思い込んでいます。

あるいは中東でいろんな民主化運動が起こって挫折しましたね。なぜかというと、自由だ自由だと言って、自由を獲得したけれども、それに伴う責任があるということを学ばないうちに勝手に自由だけを取り込んでしまったため、当然混乱をしてしまいました。その結果として失望感が生まれ、そして民主主義に対するクレディビリティーが失われてしまいました。先進国でも、一旦競争で勝った人が、政治や経済の実権を握るとその地位を守ろうとしてその力を更なる競争に使い、優位に立ちます。決して自由なアメリカンドリームのような社会ができません。貧困層はますます貧困に陥って格差は広がり、シンデレラみたいにまじめに努力していれば必ず王子様と会えると思っていたけれど、全然そうではない。エリートだけがいい思いをする、そういう不満がアメリカで高まったからこそ、それにうまくアピールしたトランプさんが当選したんですね。多くのアメリカの国民が、これまでのシステムに対する不満を持っているということを、直観的に感じて、それにうまくフィードしたんだと思います。

今後どうなるかはわかりませんが、国は皆さんに平和と正義と繁栄を約束します、ということで自分自身の正当性を主張してきたし、ある程度まで成功しました。しかし最近になってくると、自由な経済活動を許したがゆえに、ICTが発達して、機関投資家が世界中のお金を動かすようになって、国の力を上回ってしまいました。国家というシステムが完全にものごとを仕切れなくなってしまいました。そしてグローバリゼーションによってそれぞれの問題が増しているということだと思います。

国家以外の人たちのグループ、
良心をもった人たちのグループの出番

では本当に、これからどうしたらいいのだろうか?国家というものをもう一度建て直して、すべてを仕切れるようにすべきなのか。それはもう無理だと思います。では、それに代わる、国家というシステム以外のものがあるんだろうかと超国家組織を目指すEUを見ても必ずしもうまくいっていません。国家に代わる制度はありません。戦後の制度にチャレンジをしている中国やロシアも、それに代わるものを提示できていませんね。したがって国家というシステムは続かざるを得ないのです。続けざるを得ない。だとすれば、国家にできることはたくさんあるのですから、国家にはそれをちゃんとやってもらった上で、それ以外の人たちがそれを補っていかなければならないのです。それを補うのが地方であり、NGOなどのいわゆる市民社会です。国家以外の人たちのグループ、良心をもった人たちのグループの出番ではないかと思います。

そして、自由民主主義という制度、これも、17世紀、18世紀、フランス革命とかアメリカ独立革命をきっかけに出来上がったシステムですが、これに変わるシステムはあるんだろうか。チャーチルが言ったように、それはないと思います。

どうすればいいか。せっかく一番ましなシステムを考え付いたのだから、それをちゃんとうまく使っていく、運用していくことしかないと思います。自由民主主義という制度は、車と同じでうまくできてはいます。でも、ちゃんと運転しなければ事故を起こします。酔っぱらって運転したら、危険ドラッグを吸って運転したら必ず事故を起こします。事故を起こしたのは、車が悪いんじゃなくて、運転する人が悪いのです。ちゃんとルールを守らず、マナーを守らず、メカのことを知らないで運転するから事故が起きます。ですから、自由民主主義という制度をうまく使えるように、みんなが努力しなければいけないだろうと思います。

ここまで申し上げた上で、最も重要な問題に触れたいと思います。それは、は、400年ぐらい前から西欧が中心に作ってきた文明の根幹にある、合理主義という思想のもつ問題点です。民主主義にしても、国家の制度にしても、人間が合理的に考えればこうだ、こういうふうにすれば一番良くなるということで作ってきた制度なのです。しかし実際に人間はそんなに合理的に行動できません。経済学はその典型です。人間は必ず合理的に行動するという前提で自由に競争すればより安いコストでよりいいものを作る人が勝つ、そうすれば社会全体が良くなる、だから自由競争を徹底すべきだということになる。確かにそうなんですが、現実の人間はそのように行動しない。勝った者は自由を使って更なる勝利を獲得し、負けた者はますます勝てなくなって次第に不満をためて反社会的行動に移る。また、ファッションとかブームというのは理屈ではないですよね。このようにエゴイズムや恨み、移り気、つまり感情、感性で人間は行動してしまう。にもかかわらず、人間はすべて合理的に行動するんだという大前提でこのシステムは作られています。見た目はきれいで、きれいな数式で表せます。

でも現実には適応できません。そういうことが実は十分に知られていないだろうと思います。人間には理性と感情、感性が半々です。脳の右半分は感情、感性をつかさどるわけです。神様は両方を下さったわけですからそれをちゃんとバランスできるような社会システムを作らないといけません。左脳だけで作った合理的なシステムは、大変参考になります。これまでの文明の発達とか科学の発達は左脳のおかげです。今日も寒いのだけれども暖かい暖房の中でこういう話ができるのも左脳のおかげです。それは大事にしなくてはいけません。でもそれ一辺倒でもいけません。

理性と感情、自由とモラルのバランス、
この2つを回復しなければ……

アダム・スミスという経済学の父がいます。彼はみんなが一生懸命競争すれば、努力すれば、神の見えざる手によってすべて経済は上手く廻るのだと言ってるので、経済の合理性の神様のように一般的には考えられています。しかし、実は彼は『道徳感情論』というかなり分厚い本を書いています。そこでは、「人間には感情がある、だから人間の行動は合理的ではない」ということをいろいろな例を挙げて書いています。にもかかわらず今の社会では、政治家も経済界の方々も、合理主義一辺倒、効率主義一辺倒になってしまっています。否、そうならざるを得ない社会の風潮になってしまったというのが正しいかもしれません。そこを元に戻さないといけないと思います。

もう一つは、自由です。特にアメリカはそうですが、確かに束縛はよくないし、自由はいいに決まっています。しかし自由だけではうまくいきません。アメリカは個人がなるべく自由に、自分のやりたいことができる、それが一番潜在力を発揮するんだということで、そういうシステムになっています。自由と自由がぶつかれば、それは裁判で決着をつけるという一つのパターンを作ってます。

自由というのは人間にとって根源的な欲望かもしれませんが、一度自由を手にするともっと大きくしようとします。あるいは自由を悪いことに使おうとします。経済学者でアメリカのフランク・ライトという人が自由というものには反社会性がある。と言っています。人間はどうしても100パーセント善人ではありませんから、自分でなんでもできると思うと、ついつい悪いこともやってしまう。そういうことを考えなければちゃんとした経済学は運用できないと言ってます。

しかし今の社会、日本のみならず世界中が、自由を導入して、合理性、効率性を進めていけばすべて上手くいくのだと思い込んでいます。そういう状況だと思います。自由はいいのだけれど、それに伴うモラル、責任感を養わないといけません。最近、あまりモラルということは聞きませんが、それ自体、問題なんだと思います。理性と感情のバランスと、自由とモラルのバランス、この2つを回復しなくてはいけない、そうしなければ今の人類社会の行き詰まりは打破できないと思います。

どうやってバランス感覚―モラルを手に入れることができるのか。ここで、文化・芸術が出てくるんですね。西洋が作ってきた合理主義とか効率主義の制度をうまく運用していくには、民主主義という自動車をうまく運転していくためには、文化が本来持っている力、つまり合理性と非合理性の間のバランスをうまくとることです。このバランスというのは、固定できないんですね。その時々の状況によって、今は合理的に行動しよう、こういう時はもっと感性に訴えて非合理的に、そういう両方のバランスを常に考え続けなければいけません。

では、どうやってそういうバランスをいつも保っていけるか。その鍵は自然にあると思います。人間の身体をとってみても、インシュリンとアドレナリン、いろいろなホルモンがあって、その引っ張り合いで、やや揺らぎながら何となくバランスが保たれています。男性ホルモンと女性ホルモンもそうですよね。生命というのは、ある意味で不安定なもので、すべて固定してしまっては石のような無機物となってしまいます。自然界はまさに食物連鎖がバランスでできています。そこから学べるはずだと思っています。どのようなバランスがいいかを理屈で考えることはできません。自然のバランス感覚とか、自然の奥にある摂理とかを丁寧に汲み上げて表現している、それが日本の文化であると思います。

文化はそれぞれの民族が持っていて、それぞれ感性を上手く使って、不安を表現したり喜びを表現したりといろいろな表現をしています。日本の文化の特徴は、自然と一体になってそこから学ぶところにあると思います。西洋の人はどちらかというと、人間は自然と違うんだという考えです。旧約聖書に出てきますが、神様が人間をおつくりになったあと、人間に対して、人間を祝福しながら、産めよ増えよ、そして地に這うものを従わせよとおっしゃいます。つまり人口を増やしなさい、そしてこの地球を支配しなさいと神様は言っておられるのです。実際に神様がそうおっしゃったかどうかは重要ではなく、そういう発想が西洋の中にあるというところがポイントです。それが科学技術の発達につながったとは思いますが、しかし人間は自然と違うという線を引いてしまうということが一番問題だと思います。

それに対して日本人は、人間も結局自然の一部だという考えです。だから自然に逆らってもしかたない、嵐が来たら、地震が来たら、じっと身をすくめて待っているしかない。待てば必ず春が来て花が咲く、実が生る、といった自然と一体となることに日本人は意義を見出しました。それはもちろん欧米から見ると、合理的でないしアミニズムという原始宗教だとみられるかもしれません。しかし、それこそ一番大事なことだと思います。したがってそうすることで自然の知恵、バランス感覚というものを日本の文化は上手く吸収しているのだと思います。そういう意味で、日本の文化というものが、さらに言えば、もっと日本人の根本にある思想というものが世界に広がっていってほしいと思います。

森羅万象いろんなことがある中で、西洋人が真実と思っているものは科学で説明できるものだけ、言語化できるものだけです。それだけが真実で、それ以外のものは怪しげなものだと考えます。

日本人は、もっと感性で感じるもの、科学的には説明できないけれど、言葉にはならないけれど、何か感じるもの、それは真善美かもしれません。日本人は、そういうものを西洋人以上に感じることができます。それが日本の文化に反映されているのだと思います。この違いというのは、富士山もその一例ですが、世界遺産を登録したいという時に、いつも日本が苦しむところです。日本の言っていることはよくわからん、普遍的価値がある文化財だと言ってるけど、それが本当に価値があることを、あるいは登録の基準を満たしていることを科学的に説明できないのかといつも言われます。その違いはなかなか埋まらないと思いますが、日本人のような、科学で説明できないもの、目にはみえないもの、音にも聞けないものにも素晴らしい価値があるんだと、そこに目を開かなきゃいけないんだということを世界の人にわかってほしいと思います。

国家にできないことができるのは
地方であり、そして市民だと

そういうことを誰がやっていくのか。国か。いやもう、国は限界があると申し上げました。国家は毎日の新聞を見てもわかりますように、政治とか国防とか経済で手一杯です。安倍さんも大活躍してますが、なかなか文化には手が回りません。私も文化庁の時におそばにいて、そう思いました。しかも国家というのはもともと文化が得意ではないのだと思います。

人類はもともとアフリカで生まれました。私も外務省のお手伝いをしてよくアフリカに行きます。先日は、南アフリカとケニアに行って、400万年ぐらい前の人類の骨を見てきました。DNAをずっとたどっていくと、その辺りが人類の祖先らしいですね。北京原人とかジャワ原人とかいますが、彼らは滅びてしまっていて、結局、ここにいる人全員のおおもとはアフリカらしいです。アフリカから人類が生まれていろんな所に散っていった。そしてそれぞれの気候風土に応じて文化ができ、都市ができてきます。やがて支配者が国境をひいてしまいました。その中にあるいろんな都市の1つを首都にしました。日本で言えば、東京にした。

考えてみれば、文化というのは自然の風土の中で人間が自然発生的に集まってできたものですが、国家というのは支配者が来て戦争して勝った者が、これは俺の土地だと言って線をひいてしまった、きわめて人為的なものなんです。ということは、文化というのは人類共通のものがあって、それがいろんな都市において、風土に影響されて少しずつ異なる色をもってきます。そこに国家というものが来て、人為的に国境をひいて、そこで政治とか経済とか外交とか戦争をやっています。従って、そのもとにある文化・・・国境とは関係のない文化を扱うことは得意ではありません。こうした国家にできないことができるのは地方であり、そして市民だと思います。

したがって結論を急ぎますと、国家は、政治や経済、外交など自分の役割を果たそうとすればするほど、グローバル化の中で国家の限界を示すことになってしまいます。自由を与え、経済活動をどんどん促進させた結果として、グローバル化が起こり、国家の地位が下がってしまいました。ある意味では歴史の必然なんではないかというふうに思ってます。

それと同時に西欧発の理性中心主義といったことが限界に来ています。理屈としてはそうだけれども、気持ちがおさまらない、そういうのは常に我々にもありますが、最近のヨーロッパやアメリカで起こっていることは、もうきれいごとは十分だ、民主主義は理念としてはけっこうだ、人権もけっこうだ、でも俺の生活はどうしてくれるんだ、もう我慢ならんという気持ちがついに先進国で高まってきていると思います。

したがって、ここはもう一度バランスを取り戻さなくてはいけません。そのバランスを取り戻すにあたっての助けになるのが文化・芸術であり、特に自然のバランス感覚に一番敏感な日本の文化です。そしてまた国家ができないことができるのが地方です。人間が一番自然に仲間を作れるところ、それは地域ですね。そこに文化があります。国家というのは人為的なもので、支配の論理で行動します。我々のアイデンティティーを感じ、仲間と打ち解けられる、教育ができる、それはやはりまず家族であり、隣の人であり、村であり、町であり、市であり、県であり、それぐらいが限界です。それ以上広がると、本当の緊密な連携はできません。そういうところにこそ文化が生まれるのですから、そういう意味で地方、地域と文化というものにもう一度注目することで、一人ひとりの幸せと社会の安定が広がります。それを思い切ってやる時期に今来ているのではないか。世界の近代化、グローバル化、というのは人類の歴史上、大きな貢献をしましたが、それが完全に限界に来ています。その限界から脱するには今申し上げたようなこと、つまり理性と感性のバランスを取り戻すべく文化と地域の力を見直す時ではないかと思います。

このあと平田さんと中島さんからそれぞれの具体的な話が聞けると思います。その後のシンポジウムでも私もそこに参加をして話をしますが、その大前提として、やさしい話を難しくするという癖がぬけきれませんでしたが、全体を見て、特にこれから政治家とか財界人に説明する時に、なぜ地域かなぜ文化かという時に、ある程度理屈で説明しないとわかってくれません。その一つの工夫をお話しました。

先ほど平田さんに、文化を使ってまちおこしをしようとしている素晴らしい市長さんのお話を伺いました。どうすればそれ以外の市長さんに文化の重要性を説明したらいいでしょうかと聞いたら、平田さんはそれはもうセンスしかない、いくら口で説明したってわからない人にはわからないんだとおっしゃいました。確かにそうかもしれません。でもそういった説明をする場面は多いですから、少しでもそういう人たちにわかってもらうために理屈で、なぜ地域か、なぜ文化かということを私としては説明しているつもりです。今日も私の説明のしかたをご披露して、次のお二方のプレゼンテーション、その後のトークセッションにつなげたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

Profile

近藤 誠一

近藤誠一 KONDO Seiichi

1946年神奈川県生まれ。東京大学教養学部教養学科卒、東京大学大学院法学政治学研究科中退。1972年外務省入省。在米国日本大使館参事官、同公使、外務省経済局総務参事官などを経て、OECD(経済協力開発機構)事務次長、UNESCO(国連教育科学文化機関)日本政府代表部特命全権大使、駐デンマーク特命全権大使、2010年7月より2013年7月まで文化庁長官。退官後は、東京藝術大学客員教授、京都市芸術文化協会理事長、東京都交響楽団理事長、日本舞踊協会会長等を務める。レジョンドヌール・シュバリエ章(仏)、ダネブロー勲章大十字章(デンマーク)叙勲、アカデミア賞(全国日本学士会)、瑞宝重光章(平成28年度)受賞。