「北前船がもたらした下津井の富と繁栄展」と称して「北前船まつり」を開催

団体名:倉敷市むかし下津井回船問屋
代表者:矢吹勝利 所在地:倉敷市 設立年:1995年 メンバー数:4名
助成年度:2016年度 文化活動助成

目的

今は寂れかけた下津井にもう一度光を当て、地域の人のみならず、多くの観光客に下津井を知っていただくこと。
(歴史:かつての下津井には壮大な男の夢とロマンがありました。それは、今日の交通事情とはおおよそ異なる海上交通を生業(なりわい)とした北前船との長きにわたる商取引によって作り出されたものでありました。
岡山県には吉備の穴海という他地域にはない地形的な特徴があり、この穴海を干拓することによって広大な土地が生まれ、そこには時代が要求する換金作物が植えられました。それが、綿や藍や菜種などでした。江戸時代から明治時代にかけてのことでした。特に綿や藍は、後にこの地の一大産業となる繊維産業を形成しました。綿作に必要不可欠だったのが、北前船が運んできた肥料としてのニシン粕でした。
当時、北海道では無尽蔵とも言われるほどにニシンが捕獲されました。ニシンを大釜で煮て圧縮機で絞ると大量のニシン油が取れました。そして残った絞り粕は、天日で乾燥すれば、綿作に必要な肥料となったのです。ニシン粕が商品になることに目を付けたのが北前船でした。北前船の船主たちはニシン粕を大量に買い取り、商品として下津井湊に運んできました。広がり続ける吉備の穴海の干拓地では飛ぶように売れたからです。ニシン粕は下津井湊へ陸揚げされ、海岸に林立する蔵の中へ積み上げられました。これがニシン倉と呼ばれた倉庫群です。ニシン粕が陸揚げされると、港は濃厚なニシン粕の匂いが漂いました。
今日の繊維の街児島があるのも、天領としての米の集積地に過ぎなかった倉敷が今日あるのも、全ての始まりは下津井湊だったと言っても過言ではありません。また、北前船は下津井に莫大な富をもたらしただけでなく、文化や情報も運んで来ました。今も伝わる下津井節は、北前船によって下津井の花街に伝えられたのです)

内容・経過

今回は常設展示をメインに補足展示として特別展を開催しました。
●特別展示
吉備の穴海と吉備の児島周辺の大規模干拓/北前船と下津井及び周辺地域の綿作産業との繋がり/たたら製鉄と吉備の穴海の繋がり/下津井周辺の歴史(塩飽諸島、下津井城、源平合戦と吉備の穴海)/ジーンズに繋がる厚手の生地を加工するミシンの展示
●期間中の主要イベント
観光客への下津井節サービス/Panみちゅコンサート(ランチ付きのコンサート)/松田美緒ライブ(日本各地に埋もれかけている伝承歌や民謡を伝えている歌の伝道師)/下津井節総踊り(地域で活動中の踊り仲間による踊りの披露)/民謡お国めぐり(北前船航路の各地に残っている民謡を披露)/刀剣特別展(大量の土砂を穴海に運ぶことになったたたら製鉄との関係)

成果・効果


今後の課題と問題点


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