占領期岡山の農村及び山村に関する写真映像記録の収集とアーカイヴの構築

団体名:地域分析研究会
代表者:徳澤啓一 所在地:岡山市 設立年:2005年 メンバー数:15名
助成年度:2008年度 文化活動助成

目的

1945年(昭和20)年8月、我が国の敗戦によって、マッカーサーを最高司令官とする連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が設置された。GHQは、我が国の非武装、民主化を目的として、対日占領政策を管理し、同年10月、5大改革を指示した。とくに、我が国の対外進出の動機は、農村・山村・漁村の窮乏に原因があるとされ、1946(昭和21)年、農地改革が着手されたことは周知の歴史的事実である。
しかしながら、これに先立ち、GHQの民間情報局(CivilInformationandEducationalSection:CIE)、世論社会調査課(ThePublicOpinionandSociologicalResearchDivision)によって、岡山県下の農村・山村・漁村において、社会調査が実施されたことは、ほとんど知られていない。CIEは、帯江村(現倉敷市帯江地区)、日生村(現日生町)を主な調査地として、人口、世帯構成、農産物の作付け状況、収穫状況、租税、金融事情、村落における階級構成(地主、自作、小作)、教育状況などの調査を実施した。そして、これらの調査をもとに、封建的土地所有制度が解体され、自作農が大量創出されるのだが、これらの成果が“DistinctiveFeaturesofObie-Mura”としてまとめられたことも知られていない。
一方、1950(昭和25)年、岡山において、ミシガン大学日本研究所の岡山分室が開設され、アメリカ人類学の重要なフィールドになったことは、あまりにも知られている。米国人研究者、そして、これらに協力する日本人研究者らによって、新池村(現岡山市新庄地区)、高島(現倉敷市塩生地区)、馬繋(新見市)において、同じような社会調査が展開され、民俗学、人類学、歴史学上の地域研究を代表する成果がまとめられた。しかしながら、これらの成果も、当時の大学院生博士論文等として、高い評価を受けたものの、米国における公表であり、多くの研究が遺されながら、岡山にフィードバックされることがほとんどなかった。また、これらの調査に伴って取得された写真や映像等の記録は、ワシントンのナショナルアーカイヴ、スミソニアン博物館、そして、ミシガン大学日本研究所などで保管されているものの、日本人、そして、岡山県民が目にすることはほとんどないといってよい。
本文化活動の目的は、CIE、そして、ミシガン大学日本研究所岡山分室による岡山県下の地域研究を掘り起こすことである。とくに、米国で公表された岡山研究を紹介するとともに、当時の米国人調査に協力・関与した日本人関係者の証言、そして、写真・映像等を取得し、戦後岡山調査のアーカイヴを構築することである。

成果(経過を含む)

研究会第17回研究会「1950年代におけるアメリカ人人類学者による岡山調査−その政治的位置付け−」に引き続いて、11月28日(金)、第22回研究会「外国人人類学者による戦後岡山調査」を開催した。ゲストスピーカーとして、下山宏昭氏の基調講演、谷口陽子氏の博士論文の発表、中生勝美氏(桜美林大学)を中心とする討論会を行った。詳細は以下のとおり。
下山宏昭(財団法人福武教育文化振興財団)
「アメリカが記録した日本の習俗〜番組制作現場からの視点」
谷口陽子(お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科研究院研究員)
「米国人日本研究者が見た戦後日本〜ミシガン大学日本研究所を中心に〜」
展示12月14日(日)岡山理科大学において、『岡山学』研究会「岡山学シンポジウム」が開催された。これにあわせて、『占領期岡山の社会調査と農村経済』のポスター展示を行った。また、12月15日(月)〜1月16日(金)、丸善ウォールギャラリー(岡山表町シンフォニービル内)において、『占領下岡山におけるGHQ社会調査』を開催した。米国ワシントンナショナルアーカイヴが所蔵する“Obie-Mura”の古写真を中心として、終戦直後の農村生活を紹介した。
インタビューミシガン大学日本研究所岡山分室の日本人協力者の一人であった石田寛氏(広島大学名誉教授)のインタビューを実施した。岡山調査の経緯と実際、政治的背景、そして、関係者のプロフィールや人間関係に関する証言を取得した。
翻訳今年度は、占領期岡山に関する記録のうち、現在の倉敷市帯江地区の記述が所収されている“TheJapaneseVillageinTransition”(GeneralHeadquartersSupremeCommanderforTheAlliedPowersNaturalResourcesSectionReportNo.136・1950年刊行)を翻訳した。1950年前後の“DistinctiveFeaturesofObie-Mura”の記述を整理した。
ガラス乾板写真のデータ化システムの構築本研究会では、これまで、占領期岡山に関する多数の写真記録を蓄積してきた。このうち、当時の写真には、ガラス乾板が含まれており、現在、銀鏡などの劣化が激しい。また、現像機が製造されなくなり、イメージングが非常に困難な状態にあるため、スキャナーなどを利用した比較的簡易なデータ化システムを構築した。

今後の課題と問題点

すでに、岡山における地域研究に関与した米国人研究者のほとんどが死去し、日本人協力者の高齢化が著しい。そのため、関係者のインタビューを最優先しながら、当時の記録、そして、記憶の取得を急ぐ必要がある。また、当時のフィールド・ノートや写真(とくに、ガラス乾板)についても、半世紀以上が経過し、経年変化による腐朽が激しい状態にある。これらの保全についても一刻の猶予もない。

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