史跡を整備し活用するとともに後世に引継ぐ
代表者:上原次男 所在地:津山市 設立年:2008年 メンバー数:37名 助成年度:2008年度 文化活動助成
目的
地区内の史跡を整備し、説明板・案内板等を設置し地区内外の人々に活用していただく。史跡マップの小冊子を作成し史跡見学めぐり等に活用してもらう。
わが倭文地区は、日本古来の織物(幻の織物といわれている)である倭文織の生産地です。
今、わが地区で、倭文織の復元に取り組んでいます。
この倭文織の里には、数多くの史跡があります。これらの史跡は整備が十分ではないので見学が困難です。また、史跡のいわれや伝承など忘れられてきています。
史跡を倭文地区のみんなのものにするために、史跡を整備するとともに、史跡のある場所、史跡のいわれや伝承などを多くの人に知らせることが必要です。
そしてさらに、地区の多くの人に史跡を見学してもらう必要があります。
そのためには、倭文地区の史跡地図やその解説を作成し、多くの人に配布する必要があります。先ず第一に、地区の中心に史跡地図の看板設置を考えました。
経過
わが地区内には、日本で3例目という短甲が出土した奥の前1号墳や数十例の出土しかない蛇行剣や100例ほどの出土しかない銅鋺等を出土した古墳があります。
また、日本では最古級である大蔵池南製鉄遺跡や96本もの鉄穴流し遺構等がある糘山遺跡群があります。
さらに、幕末長州藩に敗れた浜田藩(のちに鶴田藩と改める)が城と侍屋敷を焼き飛領地の美作に全藩移ってきました。藩の中心はわが倭文地区にあったのです(藩主の居館、藩庁、藩校など)。藩士の墓も数多く残っております。
数多くある史跡の実態を把握するために調査をしました。ほとんどの史跡は荒れており、倒木や雑木、雑草などで近づけない所もありました。
史跡地図を作成しても見学できなければその目的は達成できません。
そこで、秋から春にかけて史跡の整備を実施しました。そして、史跡名や案内板を設置していきました。
今回、倭文出張所前に立派な史跡と文化財の地図の看板を設置することができました。この設置で地区内の人々の史跡に対しての関心が高まってきました。
成果
史跡保存会結成後、史跡整備の活動を積極的におこない、整備がかなり進んできました。
そのため、平成20年には県内各地から史跡見学に100人近くわが地区を訪れております。
また、史跡と文化財マップの看板の設置で地区内の人々の歴史や史跡への関心も高まってきています。
倭文地区ミニ文化祭(H21.2.14)では、「倭文地区の歴史と史跡」という題で会員が講演しましたが100人ほどの参加者があり、熱心に聴いていました。
さらに、秀実小学校6年生の歴史の授業を会員が2回実施しました。
糘山の史跡整備後史跡ハイキングを実施したところ100人近くの参加者がありました。参加者からは「こんなにきちんと整備してくれてありがとうございます」とか「昔からこの地区に住んでいるが、こんな史跡が、ここにあったとは全く知りませんでした」などの声が寄せられました。
史跡の実態調査を続けていると、これまで我々が把握していなかった石造物など新たに発見しています。
今後の課題と問題点
1.史跡地図の冊子作成を!
史跡と文化財マップの看板は完成しましたが、これだけでは、個人で史跡見学に行けません。
自由に史跡見学に出かけてもらうには、どうしても史跡地図とその解説が入った冊子が必要です。さらに、鶴田藩遺跡だけのマップ、古墳のマップ等分野別のマップ作成にも取り組む必要があります。
2.史跡整備をどう継続させるか!
今、史跡整備に参加している人はほとんどが60歳以上です。整備はほぼ毎年実施しなければ意味がありません。高齢化していくほどその負担は重くなっていきます。あまり期待はできないかもわかりませんが行政に働きかけるとともに、若い人達に整備活動に参加してもらう必要がどうしてもあります。そのため、各地区の自治会にも協力を要請していきたいです。