遺族による命の授業(命の教育・法教育)実践と展開に向けて
代表者:川﨑 政宏 所在地:岡山県 助成年度:2008年度 教育活動助成
研究の目的
子どもたちが犯罪や交通事故、自殺に遭遇する痛ましい事件が続き、地域で子どもたちの安全・安心を守る地域環境作りが始まっています。しかし、単に危険な場所を避ける、子どもを危険に近付けないというだけでは何かが欠けています。暴力やいじめによる事件を防ぐため、子どもを犯罪で亡くした遺族が「かけがえのない生命」の大切さについて若い世代に語り継いでいくことを始めたのがNPO活動の契機です。遺族が伝えたいのは、心の痛みを共有し、子どもたちが自分を大切にし、他人を大切にしてほしいという願いです。地域における安全安心の教育とともに、子どもたちの自尊感情を育てていく教育を考えることを目的としています。
研究の経過
1はじまり
2006年11月に岡山県備前県民局の青少年相談員研修会で講演。12月の赤磐市立吉井中学校から「命の授業」が始まり、2007年7月の岡山市立冨山中学校での「命の授業」から岡山県、岡山県警、岡山県教委との協働事業を開始し、2008年4月からは県予算もつき、現在に至っています。
2遺族による「命の授業」のしくみ、内容
①2008年度は、直接NPOへ依頼もありますが、警察の少年補導員「心の教室」活動の一部を協働するなかで、警察経由の依頼が比較的多くありました。高校では、人権教育の時間を用いて、中学校ではLHRや総合学習、道徳の時間を用いて、60分から90分で講演を行いました。講師は、少年事件で子どもを亡くした母親が3名、弟を亡くした姉が1名です。
②2008年度の活動状況は、小中高校、大学あわせて44校で実施し、約17000人の学生が遺族の声に耳を傾けました。
最近3年間では、2006年度に5校(750人)、2007年度に24校(10460人)、2008年度に44校(17000人)で実施し、2008年度の内訳は、岡山県内では小学校1校(140人)、中学校24校(9500人)、高校11校(4223人)、大学2校(450人)でした。
③受入れ側(学校)の問題
2006年度までは個別にNPOから学校に打診しても、「子どもたちには重い話だ」、「うちの学校には関係ない」という反応でした。しかし、実際に青少年相談員研修会や人権教育研修会で犯罪被害者遺族による「命の授業」が子どもたちの心に響くことを感じた教員の方々から講演依頼を受けるようになりました。
④授業の内容、構成要素
遺族が語る「命の授業」には共通点があります。中学生、高校生だった息子を少年たちのいじめや集団暴行により亡くした母親という点です。そして、ただ犯罪の被害に遭った体験談を行うというのではなく、子どもたちに「いのち」を感じてもらうことを遺族それぞれが強く願っている点です。「私のような悲しくつらい思いをする母親をこれ以上だしたくない」という願いにも似た思いかもしれません。
たとえば、最も多く「命の授業」に出向いている市原千代子が子どもたちに語ることは、①子どもたち一人ひとりが待ち望まれて誕生してきたこと(死産、流産を経て圭司さんが生まれてきたこと)、②成長の過程で中学時代、高校時代に感じる進路や交友関係の悩みや不安、そして将来への希望(圭司さんの不登校の体験や友達との関係、再出発に向けての希望など)、③大人たちの見えないところで繰り返される暴力と、暴力により未来や希望が断ち切られたこと(圭司さんが体験した暴力、そして犯罪被害)、④事件後の家族や友達の思い(亡くなった圭司さんの手が冷たくなっていったこと、大切な家族を失った両親やきょうだいの思い、圭司さんの友達がさりげなくやってきて支えてくれたこと)、⑤犯罪被害に遭った家族のなかの子どもたちの抱える問題(圭司さんの妹が体験した思い)といった内容です。
子どもたちは、①いま自分が生きていることの意味や親への思い、②過去に、あるいはいま体験している悩みや迷い、③暴力に対する強い拒絶の意思、④自分一人のいのちではなく、多くの人がその喪失を悲しむのだということ、⑤身近にいるかもしれない大切な人を失った子供の存在、について、自らを重ね合わせるように真剣に「命の授業」を聴いていることが感想文を見ると伝わってきます。
ただ、「命を大切にしましょう」というのでは他人事になってしまいます。おそらく子どもたちは遺族の体験談を、上記①から⑤の観点から自分のことに引き寄せて考える柔らかな感受性を持っているのだと思います。特に、中学生の感想には心の柔らかさを感じ、高校、大学と成長するにつれ、自分のことに引き寄せて考えることをしなくなる傾向も見えました。
⑤授業の感想、反響
ある国立大学の大学生は「他人の子どもの話をなぜ長々と聴かされなくてはいけないのか」と不満を感想に書いていました。知的水準は高くても他者への共感的理解に欠ける大学生の存在に驚きました。ただこうした大人が増えていることも間違いなく、日本の教育に何かが欠けているのだということも強く感じました。
一方、ある中学3年生の女子生徒は次のような感想を述べていました。遺族が伝えたいことを真正面から受け止める柔らかな感性が多くの中学生にはあるのだということにも気づかされました。
「自分の手が誰かを傷付けてしまったら、大切な人が傷付けられてしまったら、と考えさせられました。流産、死産の後、やっと生まれた元気な息子さんが、やっと希望を見つけ新しい人生を歩み始めたのに、知人にリンチされ亡くなってしまったときいた時はとても悲しい気持ちになりました。もちろん私なんかより市原さんの方がもっと、想像できない程悲しいのだと思います。それでも市原さんはいっしょうけんめい私たちに話してくれました。市原さんは今とても強く前を向いて生きているのだと思いました。手を合わせてくださいと言われたとき、もくとうをするのだと思ったのだけれど、違いました。市原さんは私たちにこの手のぬくもり、つながりを教えてくれました。私は少し恥ずかしくなりました。市原さんは私情を話すことより、私たちに、生きていることを伝えることを選んでいるのだと感じました。相手を思いやり、誰かを傷付けない、そういう社会にしていこうと改めて思いました。」
研究の成果
1活動は多面的に広がり、当初は警察・学校間の連携で出向くことが多かった「命の授業」も、中学校や高校から直接依頼される機会が増えました。
単に遺族を講師として招いて終わりというのではなく、たとえば中学校の総合教育の時間に「いのち」をテーマとして取り上げて、その初回の講師として市原が招かれたり、一日かけての道徳の授業を学校・PTAが協力してつくりあげて、その締めくくりの時間に講師として市原が招かれるなど、自ら手づくりで「いのちの授業」を作り上げていこうとする学校にも出会いました。今後に期待できると思います。
2子どもたちの感想には、自らのいじめ被害体験や家族の喪失体験を打ち明け、それでも生きていきたいとの思いを書いてくれる生徒、手のぬくもりの持つ意味、今を生きていることの大切さを家に帰って親に伝えたいと書いてくれる生徒など、大人たち以上に柔らかく、しなやかな感受性に驚かされます。
「命の授業」は、「犯罪」の恐ろしさや「被害」の悲しさだけを伝えることが目的ではなく、子どもたちが自分の命も他人も命も大切にできるように、そのためにはまず「大切なあなたは生きていていいんだよ」というメッセージを繰り返し大人たちが伝えていく必要があるのだと思います。
今後の課題
1今回は協力校が得られなかったことと、まだまだ教育現場でのなじみが薄いことから、犯罪被害者遺族による「法教育」の問題まで言及することはできませんでした。2009年5月から裁判員制度が始まるなかで、どう伝えていけばよいか、切り口を考えていくことが課題として残りました。
2たしかに、「命の教育」の必要が叫ばれて久しいです。しかし、大人たちが抽象的に命の大切さを子どもたちに説いても、子どもたちの心の深いところには響かないのかもしれません。
ある教師が、「いのちを大切に」ではなく、目の前の「あなたが大切だ」ということを伝えていく必要を説いています。遺族による「命の授業」は、より一層大切になってくるように思います。