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財団と人

#29 相澤麻有子さん | 帽子職人
2020.9.14

大好きなカンカン帽が織りなす人と人

2016年に笠岡市地域おこし協力隊に着任し、麦稈真田の掘り起こし活動に取り組んできた相澤麻有子さん。当財団が公募している2019年度の教育文化活動助成金に申請して、「麦稈真田のすゝめ」という冊子を制作しました。地域おこし協力隊終了後は、石田製帽に就職し、現在も笠岡市で暮らしています。活動のきっかけや活動を通してつながったご縁などについてお話を伺ってきました。(聞き手:黒部麻子)

偶然が重なり、産地に辿り着く

黒部 相澤さんは長野県のご出身とのことですが、笠岡市に移住して、地域おこし協力隊になったときには、笠岡と麦稈真田はつながっていましたか。

相澤 全然知らなかったです。麦わら帽子の国内生産量は、岡山県と埼玉県が多いということは、もともと麦わら帽子が好きだったので、知識としては知っていました。でも、笠岡市が産地として有名だったというのは、ここに住み始めて半年後くらいに、ようやく知ったという感じです。

黒部 どういう経緯で知ったのですか。

相澤 私は子どもの頃からカンカン帽が大好きだったので、夏場は、ほぼ毎日カンカン帽を被って歩いていました。そしたら、ある日、おじいちゃん、おばあちゃんが「それ、麦稈だろう?」って聞いてくるんです。「わしらも子どもの頃は、よくそれをやっていたんじゃ」って。最初のうちはよく意味が分からなくて、「えっと……何だろう?」と思っていたのですが、よくよく話を聞いてみると、麦わら帽子のもとになる「麦稈真田」というテープ状のものを、子どもの頃にお手伝いで作っていたという話が分かってきて、「すごい!」となりました。

黒部 もともとカンカン帽好きだったという相澤さんが、偶然が重なって、産地に辿り着いたと。

相澤 さらに、近所の方がかつて帽子屋さんをしていた高橋寛さんを紹介してくれました。そのお店はもう廃業してしまったのですが、自宅にミシン1台だけを残して、残った材料でたまに帽子を縫って近所の人にプレゼントしていると。「高橋さんのところに行ったら、縫ってるところを見られるから遊びに行ってみたら?」と言われて行ってみたら、本当に小屋にミシン1台だけ残していて――今、石田製帽で私が使っているものと同じ「環縫いミシン」なのですが、すごく古くて珍しい形です。
そのミシンがカタカタカタカタって動いて、高橋さんが麦稈真田をぐるぐる縫っていって帽子を作っていく。その様子を見せてもらって、仲良くなりました。高橋さんはいろいろ知っている方なので、昔のことを教えてもらったり、かつての笠岡の麦稈真田の産業について教えてもらったりしていく中で、この辺りの地域は麦稈真田が、特に戦前は外国に輸出して、地域の産業として成り立っていたんだなということが分かりました。
それで、じゃあ、私もやってみたい!と思うようになりました。

母親のミシン引っ張りだし自分でつくる

黒部 そこから帽子づくりを始めるきっかけは何ですか。

相澤 すぐ近くに住んでいる、ブレードの機械を作っている山田さんという人と知り合いになって、それで「麦わらだったら、石田(製帽)さんのところでしょ」って言って連れて行ってくれた。それが今の仕事につながっています。

黒部 麦わら帽にまつわる子どもの頃の思い出はありますか。

相澤 子どもの頃に、麦わら帽子がほしくて、ないんだったら自分で作ろうと思って、やってみたことがあります。ホームセンターで、農作業用の一番安い麦わら帽子を買ってきて、全部ほどいてみました。そしたら、ピローって長い紐(=麦稈真田のこと)が出てきて、これを自分の好きな形に、ミシンで整形して縫っていったらカンカン帽ができると思って、お母さんのミシンを引っ張り出してきて作ってみたことはありました。小学校高学年くらいだったでしょうか。中学生だったかもしれません。

黒部 ものがないことって素敵ですね。ないから作る。

相澤 それはあったと思います。もし手軽に入手できるなら、自分で作ろうとか、分解してまでこの構造を見てみようとはならなかったと思います。よっぽど欲しかったんでしょうね(笑)。

黒部 高橋寛さんに「聞き書き」(注1)をされていますよね。きっかけは?

相澤 NPO法人倉敷町家トラスト代表理事の中村泰典さんです。一度、中村さんにこの辺の町並みはどうかということで視察に来てもらったんです。その時に、せっかくなので、中村さんにも高橋さんを紹介しました。そしたら帰り際に中村さんが「あのおじいちゃんすごいね。聞き書きしといたほうがいいよ」って言ってくれたんです。その時は「聞き書きって何ですか?」っていう感じで、全く知りませんでした。中村さんが、「聞き書きを勉強したかったら、岡山の図書館でやっているから行ってみたら?」と教えてくれました。
インターネットで検索したら、吉備人出版の電話番号が載っていたので「今度の勉強会はいつですか」と問い合わせて、見学に行ったのが初めてだったと思います。それが2017年の夏の終わりです。「聞き書き」の本はその年の冬に完成し、高橋さんにお渡ししました。

助成金で麦稈真田の冊子制作

黒部 2018年には財団の教育文化活動助成に申請。その経緯を教えてください。

相澤 助成金のことも、私は全然知らなかったので、「旬の会」の田中恵子さんから教えてもらいました。田中さんは、同じ笠岡市内に住んでカフェをやっていて、子どもたちに自然体験をしてもらおうということで「旬の会」の活動をされていました。麦稈真田のことにすごく興味を持ってくれて、話をしていたら「相澤さん、福武教育文化振興財団の助成金を受けてみたら?」と言ってくれたんです。「私も受けたことがあるし、やり方がわからなかったらサポートするよ」と。「そんなものがあるのか」と思いました。

黒部 どのような活動を検討しましたか。

相澤 何かイベントをするというのも違うかなと思って……。そういえば、ワークショップをする時に、麦稈真田の作り方や歴史、それからその時には聞き書きの手法も覚えていたので、聞き書きなども盛り込んだ資料があっても面白いかもしれないな、そういう雑誌みたいなものを作ってみたいなと思いました。それだったらたぶん、財団の方にも作りたいものを伝えやすいし、実際にとても使えるものなので一つあったほうがいいなと。それで雑誌を作る印刷費用ということで助成金申請をしました。

黒部 どうして冊子が必要だと。

相澤 本当はもっと早く作りたかったんです。それまでワークショップをする時は、プリント1枚に麦稈真田の歴史や編み方を書いていたのですが、紙1枚じゃな……というのと、興味をもってくれた人には、何度も見返してもらいたい。だから、片手でパラパラ読めるサイズで、部屋に置いて変じゃないデザインで……というふうに考えていきました。紙もいろんな種類があるので、印刷屋さんに行って、どれが雰囲気いいかなといろいろ見せてもらいました。ちょっとレトロな感じにしたいと言うと、「それだったらちょっと厚めの紙で、印刷の感じも、パキっと出るというよりはちょっと鈍い感じの印刷が出る、この紙がおすすめですよ」ということで。印刷は、福山市の神辺のほうの印刷屋さんにお願いしました。

黒部 冊子「麦稈真田のすゝめ」は、お一人で制作されたんですか?

相澤 そうですね。PhotoshopとIllustratorを多少使えるので。写真も、活動の中で撮りためていたものたくさんありました。表紙の写真は、たしかiPhoneで撮ったものです。 子どもの頃、雑誌の編集をしたいという夢があったんです。ファッション誌がすごく好きだったので。編集をずっとやりたかったので、編集作業はとても楽しかったです。

黒部 デザイン能力だけでなく、編集やライター的な能力など、いろいろ必要だと思いますが、全部お一人でされたとは、すごいですね!

相澤 でも協力隊の任期が2019年3月まで。4月からは石田製帽に就職して仕事がガッツリ入るので、やっぱり協力隊のうちに、この仕事を終えないといけない。財団の方にも「こういうものができました」と報告しないといけない。最初は結構、構成とか、どういう順番でどういう内容にしようということを迷って、なかなか手がつかなかったんです。でも時間がないと思って、年明けから思いっきりガーッとやった感じです(笑)。

黒部 〆切が決まっていて良かったですね。

相澤 そうですね。これでまだあと1年あるとなったら、もっといい写真が撮れるんじゃないかとか思って、なかなか進まなかったと思います(笑)。

ワークショップでさらに広がりが

黒部 ワークショップの感触はいかがでしたか。

相澤 助成金の紹介をしてくれた田中さんのお宅には、3人お子さんがいるんですが、一番下の希莉子ちゃんという、今中学校2年生かな? その子がすごく気に入ってくれて、ワークショップもよく来てくれるし、今年の夏には、公民館で麦稈真田の講師をしたと聞きました。「相澤さんの冊子を使っていいですか」とメールが来たので、ぜひぜひと。麦わらも、総社市でたくさんいただけたので「これで頑張って」とお裾分けしました。

黒部 もう、麦稈真田の担い手ができた。

相澤 そうですね。綺麗に作るためには、麦わらを潰すローラーが必要なんです。それも協力隊の時に揃えたパスタマシーンがあるので、それを今希莉子ちゃんに貸し出して、これで潰して作ってねと。彼女はもうやり方を見なくても、一番簡単な「三平」という三つ編みもできるし、他も上手ですよ。細かい作業が苦じゃないみたいです。麦稈真田は、こういう手作業が好きな人だったら、綺麗に編めていったり成果が出てくるので、楽しいと思います。はまるとずーっとやってしまいますね。

黒部 新聞も書いてくれたんですよね。

相澤 そうです。希莉子ちゃんがつくった記事が、山陽新聞の「おかやま新聞コンクール」新聞づくりの部で、2018年度岡山市長賞をとりました。あれも上手にまとめてくれました。写真と歴史。そして石田製帽にも取材に来てくれて、その歴史があるからこそ今でも笠岡に帽子屋さんが残っていて、現在その帽子業はどうなっているかというところまでつなげていました。とても良い内容だったと思います。麦稈真田も自分で作れるので、それを栞みたいにして貼ってくれました。

黒部 希莉子ちゃんは、どこに興味をひかれたのでしょうか。

相澤 そうですね、作ることが好きというのもあるし、麦を触る機会って日常ではほとんどないので珍しかったのかなと思います。あとやっぱりおばあちゃんや周りのお年寄りの人から、麦稈真田を作っていると「すごいね」って言われたり。自分が住んでいる地域の足跡を辿るという作業ってすごく新鮮です。
それから私は「よそ者の力を発揮したな」と思っています。中学生の子から見て、どこかよそから来た人が必死になって麦わらをやっているって、よっぽどおかしなことじゃないですか(笑)。「そんなに素敵なのかな?」って思って、自分でやってみたら楽しかった。外から来た人が「あなたの街のそれ、とっても素敵よ」って言ってくれたことで、「ああそうか」っていうふうに、もしかしたらなってくれているかもしれません。

冊子から広がる人と地域

黒部 助成金を受けて、「麦稈真田のすゝめ」を作って何か変わりましたか。

相澤 例えばラジオに出させてもらうと、問い合わせが来るんです。まず図書館関係が多く、笠岡市の図書館にはもちろん置いてもらっているんですが、「ぜひ地域資料として残したいので送ってください」と。後から電話をくれたのが矢掛町、浅口市、岡山市の図書館と、井原市も入っていたと思います。
あと一つうれしいのが、たまたまラジオを聴いていた岡山市内のおばあちゃんから、ラジオ局に電話がかかってきたことです。私にぜひ見せたい帽子があるので、直接連絡をとりたいという電話でした。それで会いに行ったら、ちょうどあのビンテージの麦わら帽子(=相澤さんのコレクションの一つ)と、まったく同じものをそのおばあちゃんが持っていたんです。昔、倉敷のアトリエか何かで、帽子の展示会があった時に、すごく素敵で買って、でも被るにはかわいすぎるから飾っていたそうんなんです。「もう今後は被ることもないだろうし、あなたが麦わらの勉強してるんだったらぜひ使ってね」とのことで、譲り受けました。それは今も2階に大事にとってあります。
そういうふうに、自分の持ってるものをもう一回思い返して、この人に使ってもらおうっていうことで、一つアクションを起こしてくれて、私もそれは大事に資料としてとっている。この冊子を作ってから、いいことが結構多いです。

黒部 相澤さんが作った冊子は、人や地域とつながっていっていますね。

相澤 『麦稈真田工業案内』という香川県の出版社が出版した、麦稈真田の教科書みたいな本などをはじめ、麦稈真田の資料は、結構残っています。国会図書館の電子版で全部見ることができます。麦はいつ刈れとか、漂白はこの割合でしなさいとか、全部書いてある。昔の資料も全部残っているので、資料は結構残してくれています。
ですが、私は資料も楽しいけど、友達はきっとこれ見ても楽しくないよなと冊子を作る時に思いました(笑)。

黒部 最後にこれからのことを聞かせてください。

相澤 いつもはここの床の間に帽子が並べてあって、今日はどれを被ろうかな、これを縫ったミシンすごいなって思いながら眺めています。
やっぱり私は、麦わら帽子が好きなんです。今日もお店や工場にいっぱい帽子が並んでいましたが、やっぱり麦のカンカンが一番好き。今はちょっと作り方が難しかったり、ミシンが手に入らなかったりして作れないですが、いつかはちゃんと、子どもの頃憧れていたカンカン帽を自分の手で作りたいなっていうのはあります。

(注1)
「聞き書き」とは、自分の人生や暮らし、地域の歴史や文化などを、そこに住む人から聞き取り、その話を文字起こしして後世に残すもの。原則として、語り手の言葉や口調、方言などを尊重し、なるべくそのままの形で書き留める。

Profile

相澤 麻有子

相澤麻有子 
AIZAWA Mayuko

帽子職人

長野県出身。中学の頃カンカン帽が欲しくて市販の帽子を解体したことで麦わら帽に興味を持つ。2016年に笠岡市地域おこし協力隊に着任し麦稈真田の掘り起し活動後、同市の帽子会社に就職。現在も麦稈真田の調査と魅力を伝える活動をしている。

聞き手

黒部 麻子

黒部麻子 
KUROBE Asako

フリーライター

1981年東京都生まれ。大学卒業後、出版社に勤務。2012年に岡山県に移住してフリーランスに。